番外編 大宰府政庁跡と太宰府天満宮
研究会のメンバーで、10/12-13に一泊二日で大宰府に行きました。
メンバーの一人は地元の方で太宰府を案内いただきました。
政庁は大宰府、地名は太宰府だそうです。「大」と「太」の違いです。
大宰府展示館に大宰権帥大伴旅人の梅花の宴が人形で再現されています。
万葉集梅花歌「初春令月 気淑風和」の令和の元号が生み出された場所です。
手前から二人目が大伴旅人です。
政庁跡の隣が坂本八幡宮です。この地は大伴旅人の邸宅跡で、梅花の宴はここで催されたとのことです。令和の元号が発表されるまで、参拝者はほとんどなかったそうですが
、新元号が発表されてから盛況で、この日も参拝者が多かったです。
政庁跡の次は太宰府天満宮です。 参道の茶房・維新の庵松屋へ入り、焼きたての名物梅が枝餅をいただきました。おいしかったです。上賀茂神社の焼き餅に似ています。
松屋は幕末には薩摩藩定宿でした。西郷隆盛と清水寺成就院住持の月照が安政の大獄から逃れるため薩摩へ逃避しましたが、月照が一時期この薩摩藩定宿に宿泊していたそうです。月照の石碑がありました。
この二人の逃避を手助けしたのが、平野国臣です。平野国臣は六角獄舎に収監中に、禁門の変で発生した獄舎火災の非常事態に乗じて、罪状未決のまま不条理にも斬首された福岡藩士です。
太宰府天満宮には社家・西高辻家があります。拝観できないですが、ここは八月十八日の政変で七卿落ちした公家が宿泊した邸宅です。さきほどの松屋にも宿泊したそうです。築地塀は五本の横線が入っていました。高貴な家柄です。
菅原道真は太宰権宰として赴任し、邸宅の榎社で一生を終え、天満宮のこの地へ葬られ
ました。
(2019年10月12-13日)