京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

泉涌寺別格本山雲龍院

雲龍院は泉涌寺別格本山です。

北朝光厳→光明→崇光→後光厳→後円融→後小松と続きますが、雲龍院は北朝第四代・後光厳天皇の勅願で建立されました。開山は竹厳聖皐です。その後、後円融、後小松天皇の帰依を受け発展し、北朝の母体となりました。西国薬師霊場でもあります。

重文本殿は龍華殿といいます。本尊薬師、脇侍の日光・月光菩薩が祀られています。もとは後土御門天皇の御黒土御殿を後柏原天皇より下賜され、写経道場としたことに始まります。

御黒土御殿とは天皇家の仏殿のことです。霊明殿もそうなんですが、天皇家神道ですが、明治以前は神仏習合のため、仏像も祀っていて、明治の廃仏毀釈のため、天皇家も仏教に関するものの扱いに困り、泉涌寺などに預けられたものが続いています。皇族は、寺院に来られても、参拝されることはないんでしょうか。

霊明殿は北朝天皇の位牌をはじめ、後水尾天皇から孝明天皇、江戸時代の皇子・皇女の位牌が祀られています。 霊明殿前の庭には徳川慶喜寄進の石灯籠があります。

大石内蔵助の「龍淵」の書がありました。泉涌寺塔頭来迎院の茶室・含翠軒が内蔵助の作と言われているように、内蔵助の親戚が来迎院の住職をしていた縁から、山科に隠棲していた時に来迎院を訪問した際に、雲龍院にも寄っていたそうです。その縁から雲龍院に 大石内蔵助ゆかりのものが伝わっているとのことです。

 書院には迷いの(四角)窓と悟りの(丸)窓がありました。私なんかいつも迷ってばかりです。いつになったら悟れるんでしょうか。

入口の早咲きの河津桜がきれいでした。

台所に怖い顔の走り大黒がありました。泉涌寺七福神のひとつです。

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                                (2020年3月1日)