平等院、興聖寺
平等院に鳳凰堂拝観と藤の花を見に行きました。鳳凰堂は数年前の大改修後、初めて拝観しました。再建当時の色を再現したとか。落ち着いた朱色でした。
定朝作の丈六阿弥陀坐像は、ふくよかな和様で慈悲に溢れているように思います。
藤の花が見頃です。
平等院から宇治橋を渡り、通園茶屋を右折し、早蕨の道からわかれ興聖寺に向かいます。興聖寺の入り口・琴坂の石門から入る前に宇治川の亀石を見ます。このあたり巨石が多くて水深の程度によりますが、どれも亀に見えます。
山門は禅宗でよく見る竜宮門でした。山門から琴坂の青もみじがきれいです。
最近手水鉢に花を入れた花手水をよく見ます。きれいです。
境内の庭に明治の、十三重塔再建前の旧相輪があります。江戸時代に開基の永井尚政が十三重塔を再興したことに因み興聖寺に移されたそうです。
本堂の天井は関ヶ原の戦いの前哨戦で、伏見城で東軍の鳥居元忠らが自刃した血天井の遺構です。京都は何か所があります。夏頃に自刃し長い間放置されていたため洗っても血痕が取れなかったと聞いています。
これを観るたびに思うのが、東軍に属した歌人の木下長嘯子(利勝)のことです。伏見城で鳥居元忠と留守居していた木下長嘯子は、西軍に攻められたときに敵前逃亡したため改易されています。またそのことで妻に離縁されていますし、敵前逃亡した理由はいろいろ推測されていますが、歌人として大成したのは命あってのものだねですし、戦国時代は厳しい時代であったようです。
(2021年4月24日)