京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

大徳寺本坊伽藍

大徳寺の本坊伽藍の特別公開に行きました。

勅使門・山門(金毛閣)・仏殿・法塔・唐門の順に拝観しました。

残念ながら唐門以外は撮影禁止でした。

いつもは入れないようになっている勅使門の横の柵の扉から入りました。

山門は連歌師宗長の寄進により一階が造営され、その後千利休が二階・金毛閣を寄進・増設し、利休の木像が安置されている下を秀吉が通ったことにより、秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の原因になったと言うのは良く知られたところです。

一般的に、寄進した堂宇に、お礼として寄進者の像や肖像画など置くのがならわしなので、金毛閣に利休の木像があっても不思議ではないです。秀吉は何か口実が欲しかったのでしょう。

法堂は宗峰妙超・大燈国師三百年遠忌の際に江月宗玩の勧めで、小田原城稲葉正勝・正則父子の寄進によって再建されました。

天井には狩野探幽筆の雲龍図があります。龍の下に立ち、手を叩くと音が余韻をもって響くそうです。やってみましたが、よくわかりませんでした。

唐門(写真掲載)は聚楽第の遺構で日暮門の異名があります。西本願寺の唐門と同じく、一日中あきずに見ていて、日が暮れると言われています。

方丈はまだ工事中で拝観できませんでした。

 

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(2023年5月28日)

金峯山寺と吉水神社(番外編)

足を延ばして奈良県金峯山寺に行きました。

参道の入り口に高麗門があります。

蔵王堂の本尊・三体秘仏 蔵王権現が特別公開しています。今回の公開は、仁王門修理の勧進を目的としているそうです。

金峯山寺役行者の創建で、蔵王権現を感得したとのこと。三体の蔵王権現は中尊に釈迦如来、両脇に千手観音菩薩弥勒菩薩の権現(化身)となっています。現在の蔵王堂は国宝、蔵王権現は重文でいずれも安土桃山時代の作品とのこと。本尊は数メートルもあり、かなり彩色が残っていて、古さを感じません。かなり手入れされていると思います。

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近くの吉水神社を拝観しました。こちらも役行者創建で、古い歴史を有しています。

ここは、写真、ブログ OKとのことです。京都の関係で言うと、南北朝時代南朝御所という歴史があります。

北闕門は京都に向いているそうです。帝はそこから京都に向かって想いをはせていたそうです。

ここの書院は、現在の日本住宅の源流をなす最古の様式としてめずらしいものだそうです。たしかに、長い床の間、片持ちの違い棚は京都では見たことがないです。

文化財もたくさんあります。狩野山雪の襖絵はまだわかりますが、狩野永徳の屏風はどうなんでしょう。永徳の作品は京都でも、大徳寺聚光院ぐらいしか知りません。

 

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(2023年4月22日)

十二月十二日

祇園で食事した時、食堂のドアの内側に「十二月十二日」の逆さ札が貼ってあるのを初めて見ました

12/12は石川五右衛門は釜焼きになった日で、「十二月十二日」と書いた札を逆さにして、玄関に貼ることで泥棒避けになります

お店の方に聞きました。

お札は一年間有効で、毎年十二月十二日に自分で書いているそうで、古いお札は廃棄します

確かに、このお札は寺社で販売しているのを見たことがないので、自分で作らないといけません。

 

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(2023年3月25日)

鎌逹稲荷神社

鎌達稲荷は、御前通沿い西寺跡公園の東端にあります。梅小路の軌道拡張のため、梅小路から現在地へ移転されました。安倍晴明の子孫・土御門家が祭祀を執り行った経緯があります。

このあたりは土御門家の所領であったため、今でも、御前通のJR北側のあたりに土御門家ゆかりの梅林寺、円光寺、稲住神社が点在しています。

 

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(2023年3月5日)

源氏物語ゆかり6

丸太町通御前の京都市立朱雀第二小学校の中に、平安宮西限に位置する左馬寮跡・藻璧門跡の碑があります。左馬寮はその名のとおり、馬の飼育、調教する役所で、左馬頭はその長です。

2巻「帚木」では、五月雨の夜、17歳になった光源氏のもとに、頭中将が訪ねてきて、さらに左馬頭と藤式部丞も交えて、4人で女性談儀をする描写があります。左馬頭は平安宮に出社すれば、このあたりで仕事をしていたことになります。


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(2023年3月5日)

 

 

伊予瑞応寺(番外編)

愛媛県新居浜市の瑞応寺に行きました

毎月18日に行われる観音講に参加しました

観音講は本堂にお詣りする前に、輪蔵を回します

この、輪蔵は北野天満宮の門前、影向松の近くにあったもので、明治の神仏分離令で、売りに出され瑞応寺に移築されました

足利義満明徳の乱で滅ぼした山名氏の冥福を祈り、同地に経王堂を建て、法要を行いました。輪蔵はその経を保管する蔵です。輪蔵を1回転させると、一切経を唱えたのと同じ功徳があるとされます。

京都でも輪蔵は拝観したことはありますが、回したのは初めてです。

何回も回しましたので、大変な功徳をいただけたと思います。

 

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(2022年11月18日)

北野天満宮梅酒まつり

北野天満宮の梅酒祭りに行きました

絵馬所ともみじ苑で試飲できます

梅酒とはいえ、いろんな種類があり楽しめました。

今年で、4回目だそうですが、コロナ下ではありますが、混雑していました。若い方が多かったです

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(2022年11月5日)