京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

源氏物語ゆかり5

朱雀院は四条通七本松あたりにありました。

嵯峨天皇の創建になります

NISSHAさんの敷地内に説明板があります

源氏物語では、桐壺帝の子・朱雀帝(源氏の異母兄)の御所となっています。
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夷川通西洞院の夷川児童公園は陽成院の御所がありました。

源氏物語では源氏の二条院を想定していると言われています

元は、源氏の母・桐壺帝更衣の実家があったところで、二条院には紫上も住んでいました

この地は、室町時代嘉吉の乱が起こったところと言われています。この辺りに赤松満祐の邸宅があり、足利義教はこの地で誘殺されました。


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五条通鴨川西に源融の河原院がありました。源融も源氏のモデルと言われています

源氏物語の源氏の邸宅六条院に想定されます


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(2022年10月29日)

源氏物語ゆかり4

石山寺を拝観しました。

石山寺本堂は珪灰石の上に建っています。そのためか、一部懸け造構造になっています

紫式部がここで源氏物語の構想を練ったと言われています。宇治川畔の景色が「須磨」「明石」の巻と重なります。

そうではないという説もあるようです。確かに、源氏物語の中で石山寺詣での道中の話とかはありますが、石山寺そのものの描写はないです。もしここに滞在して書いていたなら、詳しく出てきてもおかしくないと思います。一理あります

石山寺は、西国三十三所観音霊場で本尊は如意輪観音で、六臂の像が多いですが、こちらはニ臂で個性的です


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(2022年10月23日)

源氏物語ゆかり3

千本丸太町あたり、平安宮の源氏物語ゆかりの地を歩きました。

今では面影はないですが、このあたりが内裏の建物群があったところで、源氏物語の中心となる舞台です。

宜陽殿は、京都御所にもあり、歴代天皇の御物の保管場所です。「若菜上」で、源氏の四十賀の催しで、兵部卿宮が弾いた琴は宜陽殿の御物です。


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承香殿は弘徽殿についで格式が高い後宮で、女御が住みます。源氏物語では承香殿女御は六条御息所が相当します。

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源氏物語では、弘徽殿に桐壺帝女御(朱雀院の母)が住んでいました。この女御は桐壺帝更衣(光源氏の母)が帝の寵愛を受けているのを恨み、執拗な嫌がらせをして更衣を死に至らしめました。後に女御の妹の朧月夜がここに住み、源氏と結ばれたことが須磨隠棲の原因となります。しかし須磨に隠棲したことで、明石の君と知り合います。物語だから当然ですが。


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源氏は温明殿(内侍所)で琵琶を弾く源典侍に惹かれます。二人が忍んでいるところに、源典侍と知り合いの頭中将が訪ねて源氏といさかいになります。

 

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(2022年10月8日)

源氏物語ゆかり2

大徳寺に行ったついでに、雲林院に寄りました。

ここは源氏物語ゆかりの地で、賢木巻で藤壺と関係を持った源氏が、その後、藤壺が源氏に会ってくれないストレスから雲林院へ出家しようとします。雲林院は源氏の母君・桐壺帝更衣(御息所)の兄が律師として勤めています。

今は大徳寺の境外塔頭ですが、もとは淳和天皇の紫野院でしたが、常康親王仁明天皇皇子)に伝えられ、その後、遍照僧正が入り天台宗の寺に改められました。

源氏物語では平安宮内の殿舎は別ですが、それ以外では、雲林院のように実在の場所を小説に載せることは少ないので、逆に、雲林院はだれもが知っていて、また盛況だったのかと思います。

 

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(2022年10月1日)

矢田寺 送り鐘

8/16 矢田寺で、送り鐘を撞きました。

六道珍皇寺の送り鐘とセットでとよく言われます。お詣りは午前だったので、まだ参拝者は少なかったです。

平城京から洛中を転々とし、現在寺町通りの繁華街にある小さな寺院ですが、中に入ると荘厳な雰囲気があります。

 

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(2022年8月16日)

仁和寺金堂、御影堂

京の夏の旅で、仁和寺金堂と御影堂を拝観しました。

金堂は御所紫宸殿を新設したために、旧紫宸殿を移築したものです。

阿弥陀三尊、四天王、梵天帝釈天など配置されていました。金堂内は彩色の西方極楽浄土が描かれていました。

阿弥陀は南面していましたが、浄土教系ではないのでそういうこともあるかと。

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御影堂には弘法大師、開基の寛平法皇宇多法皇)、仁和寺二世の性信法親王三条天皇第四皇子)の三尊が祀られています。

仁和寺初代門跡は覚行法親王仁和寺三世)と思っていましたが、仁和寺パンフレットには性信法親王宇多法皇の法流を継承したことで、仁和寺住職を親王が継承する契機になったとあるので、性信法親王が初代門跡と読み取れます。

 

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(2022年8月11日)

鬼切丸(髭切)と薄緑(膝丸)

京の夏の旅で、源氏の重宝 鬼切丸と薄緑を見ました。

どちらも源満仲によって鍛えられ、代々源氏棟梁に伝えられてきたものです。

 

鬼切丸は別名髭切といい北野天満宮の所蔵で、天満宮の宝物館で展示しています。

滋賀県の最上家に伝来していたものを、北野天満宮に寄進されたとのことです。

ありがたいことに、刀剣はスマホ写真OKとのことです。

それにしても鬼滅の刃の影響か、宝物館に若い女性やカップルがちらほらいてびっくりします。

 

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また、宝物館では海北友松の雲龍図屏風が展示されていました。

海北友松の作品は建仁寺妙心寺のものが有名ですが、こちらの雲龍図も佳作です。

 

薄緑は別名膝丸といい、こちらは大覚寺の所蔵で、大覚寺霊宝館で展示しています。

西園寺家→安井門跡と伝来しましたが、明治の神仏分離令により、東山安井にあった安井門跡蓮華光院が廃され、その御影門が大覚寺に移された縁で、薄緑も大覚寺に移されたようです。

残念ながら、こちらは刀剣は写真NGとのことです。

 

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(2022年7月31日)