京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

源氏物語ゆかり7 宇治十帖

源氏物語宇治十帖を廻りました。物語が最初にあって、後の時代の人びとが、そうであろうという場所に駒札を建てています。今でいう聖地巡りです。

宇治十帖は光源氏亡き後の源氏の子孫に話が移ります。また舞台が洛中から宇治に代わります。主人公は薫と匂宮。

薫は表向きは光源氏女三宮の子。実は柏木(内大臣頭中将の長男、玉鬘の異母弟)と女三宮の不義で生まれた子。

匂宮は今上帝と明石中宮の子。

女性は宇治の八の宮(光源氏の弟)の姫君(大君、中君 正妻・北方との子)と浮舟(妾腹)

🌟47帖 橋姫

姫神社に駒札があります。

薫は八の宮のところに仏道修行に通います。八の宮は出家するため薫に姫君の将来を託します。

 

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🌟48帖 椎本(しいがもと) 彼方神社(おちかたじんじや)

匂宮は初瀬詣(長谷寺)の帰りに、宇治の夕霧(源氏の子)の別荘(平等院がモデルと言われている)に立ち寄る。八の宮邸は宇治川対岸にあり、匂宮と八の宮は手紙のやり取りをするが、中君が代筆するようになり匂宮と中君が懇意になり、それに便乗して薫は大君と懇意になりたかった。

八の宮は薫に姫君を託して亡くなったが、その一方で姫君には生前、軽々しく結婚して宇治をはなれないように言っていた。

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🌟49帖 総角(あげまき) 宇治上神社北、さわらびの道から大吉山への登り口

薫は大君に言い寄ったが、薫はあまりに優れた人で自分とは釣り合わないと考えていた。自分(大君)は宇治で一生過ごすことを決めていて、中君こそ委ねたいと伝える。一方、中君は匂宮と結ばれる。そうこうしているうちに、大君は病の床につき、薫の看病むなしく帰らぬ人となる。


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🌟50帖 早蕨 宇治上神社北のさわらびの道沿い

匂宮は中君を二条院に迎える。

匂宮は、薫が二条院を訪れ中君と親しく話しているのを見て、薫を警戒するようになる。

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🌟51帖 宿木 喜撰橋から宇治川上流約300m

夕霧は、娘の六の君を匂宮に嫁がせるが、中君はそのことに衝撃を受ける。中君の相談相手になっていた薫に、宇治に帰りたいと告げられたが諫める。薫はいつしか中君への同情が愛情に変わっていった。中君は薫の気を逸らそうとして、亡き大君に似た異母妹・浮舟のことを伝える。

宇治を訪ねた薫は偶然、初瀬詣の帰途に宇治の邸に立ち寄った浮舟と出会い、浮舟が大君に似ていることに驚く。

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🌟52帖 東屋 宇治橋東詰の東屋観音

浮舟は八の宮と中将の君との間に生まれたが、八の宮には認知されていなかった。

中将の君は受領(国司の長官)・常陸守と再婚したことで、養女になった。受領とはいっても卑しくない身分で家庭も裕福でないことから縁談の話もあったが、養女ということがわかり破談になったことがあった。

そのことを不憫に思う中将の君は、中君のいる二条院に預けることになった。

二条院にいる浮舟を偶然、匂宮が見つけ、さっそく浮舟にアプローチする。薫は浮舟を宇治に連れて帰りかくまった。

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🌟53帖 浮舟 三室戸寺 「浮舟古跡」の碑

薫により宇治に匿われた浮舟ですが、匂宮に居場所を突き止められます。そして薫のいない間に、強引に契りを結びます。このことに気づいた薫は浮舟を責めます。

浮舟は薫と匂宮の板挟みになり自死を決意します。

 

宇治十帖駒札のうち、ここだけ少し離れています。というのも浮舟が匿われていた場所だからです。駒札は三室戸寺の中なので、ここだけは拝観料を払わなければ見れないです。

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🌟54帖 蜻蛉 

京阪宇治駅から三室戸寺に向う途中にある蜻蛉の古跡(京都翔英高等学校南)。

浮舟の姿が見えないので、宇治の山荘は大慌てになる。駆け付けた浮舟母の中将の君は、遺体も見つからないのに世間体から葬儀を行う。

継父の常陸守は、桐壺天皇の孫という継娘の素性が、自分の子たちとは比べものにならないことを初めて知る。常陸宮はせめてものの償いとして、浮舟の弟・小君を薫の下に仕えさせる。f:id:aruipoo:20230925230411j:image
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🌟55帖 手習   宇治橋東詰から三室戸寺へ向う府道(京都宇治線)にあり

宇治川で入水自殺を図った浮舟は昏睡状態で倒れていた。そこにたまたま通りかかった横川の僧都(恵心僧都源信がモデルと言われている)に助けられる。死にぞこなった浮舟は出家を懇願し、僧都は浮舟を出家させた。

病後が不安な明石の中宮(匂宮の母)は、横川の僧都に修法を要望し、御所に呼ばれる。その時、僧都宇治川で倒れていた見知らぬ女性を出家させたことを伝える。

明石の中宮は、それはきっと浮舟に違いないと確信し、その話が薫の耳に入る。薫は浮舟の弟・小君を伴い、横川の僧都のもとを訪ねる。

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🌟56帖 夢浮橋   宇治橋西詰夢浮橋ひろば

薫は横川の僧都のもとを訪ね、小野(高野)で出家した女性が浮舟であると確信した。

浮舟の弟・小君に僧都の口添え文を託し、小君は小野を訪れた。しかし、浮舟は小君にも会わず、人違いとして文も受け取らなかった。

戻ってきた小君から話を状況を聞いた薫は、自分が浮舟を宇治に匿ったように、他の誰かが浮舟を小野に匿っているのではないかと思うのだった。

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宇治十帖モニュメントが朝霧橋東詰にあります。f:id:aruipoo:20230925230700j:image

(2023年9月23日)