興聖寺(織部寺)
西陣の興聖寺は普段は非公開ですので、今回、京の冬の旅で初めて拝観しました。
興聖寺は慶長八年(1603)に、虚応円耳(きいんえんに)を開山として、大名茶人・古田織部により建立されました。
方丈だけは、写真撮影可ということで撮らせていただきました。襖絵は海中写真家の杏橋幹彦氏が奉納された「青波(せいは)」の襖です。
水中写真の襖絵とは斬新な発想で、うつくしく驚嘆しました。
降り蹲踞はめずらしいものです。あまり見かけません。
古田織部の木造は安置され、菩提を弔われていますが、今回、墓にはお参りできなかったです。
2019年9月20日の京都新聞朝刊に、興聖寺蔵の松雲大師墨蹟を韓国で初披露するとあります。松雲大師は江戸時代の朝鮮通信使の礎を築いたと言われる朝鮮の僧侶で、韓国ではよく知られた人物ですが、戦火で墨蹟はほとんど残っていないそうです。大師は、興聖寺開山の虚応円耳とも面会されていて、「虚応」の名も大師から授けられたといい、そういった縁から松雲大師の墨蹟が伝わっていて、白羽の矢が立ったそうです。これも残念ながら、今回は拝観不可でした。
(2022年1月15日)