東寺
まず、周囲の門を北、東、南、西の順にめぐります。
北にあるのは鎌倉時代後期に創建された重文の北総門です。そこから下がると右手に洛南高校、左手に東寺塔頭の観智院(ブログ最後参照)を見ながら、鎌倉時代前期再建の重文の北門まで行きます。北総門から北門までの数十メートル長さの小路は平安京の櫛笥小路の名残りと言われています。
東北あたりにあるのが鎌倉時代前期創建、重文の慶賀門です。
最後は西門です。小さい門ですが、人通りが多かったです。
西門から中に入ります。すぐに、国宝の大師堂がありますが、工事中のようでした。
大師堂の裏に、国宝の不動明王が祀られていますが、平安末期に七世寛信が像の光背を修理したところ、すぐに入滅したため、それ以来開帳されていないとかで、怖くて開帳できないですね。誰も見たことがないので、本当にあるのか、災害があったらどうするのか考えてしまいます。
大師堂の隣は都七福神の兜跋(とばつ)毘沙門天を祀る毘沙門堂があります。羅城門の楼閣にあったものを、東寺食堂に移されましたが、江戸時代に現在の堂を建立し安置されています。ところで、兜跋(とばつ)とは何の意味かわかっていないそうです。
食堂には洛陽三十三観音霊場二十三番札所の十一面観音菩薩が祀られています。元々は醍醐寺を創建した理源大師・聖宝が千手観音像と四天王像を造立し食堂に祀られていましたが、昭和の火災で破損し、十一面観音菩薩に変わっています。千手観音菩薩は修復され、宝物館に安置されています。四天王像は炭化した状態で食堂に祀られています。炭化した状態、これはこれで趣があります。
後七日御修法とは1/8-14に天皇の安寧や国家安泰を祈る儀式です。かつては宮中で行われていました。下の写真は小子房の勅使門です。
八島社は東寺造営以前から鎮座していて、弘法大師が八島社の夢想を被り、ここに伽藍を造営することになったと言われています。
宝物館には、後白河上皇皇女・宣陽門院が寄進した重文の五重小塔があります。
今日は、まず東寺の周囲をぐるりと周り、中は北から南に観ていきましたが、最後に北総門と北門の中間にある観智院を拝観しました。観智院は杲宝が造営しました。本尊は入唐八家の一人恵運の請来仏(希望して入手した仏像)でもとは山科の安祥寺に安置さらていた虚空蔵菩薩です。
(2018年10月14日)