京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

伏見、宇治川派流

京阪伏見桃山駅から宇治川派流まで探訪しました。
伏見桃山駅を出るとすぐ繁華街の大手筋です。このあたりは幕末の戊辰戦争の初戦である伏見鳥羽の戦いの中心地でした。
伏見奉行所反政府軍新撰組、幕府側)の御香宮は政府軍(薩摩軍)のそれぞれの本陣となりました。
すぐ近くに料亭の魚三楼には弾丸の跡が格子に残っています。
イメージ 1
魚三楼の東側に伏見奉行所がありました。
また、この近くに常盤就捕処碑が建っています。常盤は平安末期の源義経の母親で、平時の乱で子どもと連れて逃走しているところを平清盛に捕獲されました。ここで捕まったそうですが、まったく見当違いということではないのでしょうが、何せはるか昔の平安時代のことなのでどこまで正確なのでしょうか。ちなみに常盤は義経の助命のために、後に清盛の愛妾になりました。
イメージ 2
イメージ 3
 
伏見は伏水という字が元とか、良質の地下水が豊富で酒造メーカーが集積しています。油掛通りから宇治川派流の酒蔵と街並みが、市の伏見南浜界わい景観整備地区に指定されています。
イメージ 4イメージ 5
酒蔵の街並みを宇治川派流の弁天浜から撮りました。有名な撮影スポットです。
イメージ 8
次は金札宮です。ここの境内にある天然記念物のクロガネモチで有名です。冬に実を付け、鳥が集まっていて実を食べていました。
イメージ 6イメージ 7
最後は寺田屋です。坂本竜馬がお竜の機転により助かった寺田屋事件の場所で、竜馬ファンのメッカになっています。寺田屋の敷地内にお稲荷だったでしょうか、ロザン宇治原の絵馬がありました。
イメージ 9イメージ 10
寺田屋を後にして京阪中書島までいき帰途に着きました。
ちなみに中書島安土桃山時代豊臣秀吉の武将であった脇坂安治の所領(邸宅)でした。彼の官階は中務少輔(従五位上)で、中務は日本語読みで「なかつかさ」といいますが、漢語読みで「ちゅうしょ」と発音します。このことから脇坂安治は中書(ちゅうしょ)殿と呼ばれており、このあたりの地名が「中書島」になりました。                      (2013年2月10日)