京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

伏見街道

今日は伏見街道五条通りから伏見桃山大手筋まで探訪します。五条通りの入口は大和大路通りの西二本目になります。
数十メートルいったところに浄雲寺というこじんまりした寺院がありました。なんとなく気になったので入ってみました。本堂には入れませんでしたが、となりのお堂の折上天井に龍図がありました。大寺院以外ではあまり見ないものです。いいものを見せていただきました。

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伏見街道五条通りから七条通りを過ぎたところぐらいまで歩いていて、建設中の民泊が多くあるのにおどろきました。ニュースで見ていて知ってはいるのですが、実際に目にすると実感が湧きます。
JRの線路を超えて、東大路通りとクロスするあたりに万寿寺があります。拝観寺院ではないのですが、観光客が知らずに入ってくるようで、入山禁止の注意看板がありました。ここは室町時代禅宗京都五山制度の第五番の禅寺で、相国寺東福寺などと同列の由緒ある寺院です。田の字地区に万寿寺通りという路がありますが、ここが通り名の由来になった寺院で、発祥の地は万寿寺高倉の白河天皇皇女・郁芳門院の御所があったところです。

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JR奈良線稲荷駅の踏切近くの法性寺は洛陽三十三箇所観音霊場第二十一番札所です。法性寺は小さな寺院ですが、平安時代に藤原貞信公忠平が創建した藤原氏の広大な氏寺でした。東福寺の地も元は法性寺の土地だったと言われています。
藤原道長は法性寺内に五大堂を建立し、五大堂の本尊で仏師・康尚作の五大明王の中尊像は東福寺塔頭・同聚院に受け継がれました。
拝観させていただきかったですが、残念ながらお堂の工事をされていて入れませんでした。別の機会に拝観したいと思います。

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しばらく進むと、こじんまりした寺院ですが、西山国師の南遣迎院があります。ここは浄土宗の法然の高弟・証空の往生の地です。証空は西山国師といい、浄土宗西山深草派(本山誓願寺)、西山禅林寺派(本山永観堂)の教祖です。鷹峯に遣迎院がありますがここが旧地となります。

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直違橋は伏見街道第四橋といい七瀬川に斜めにかけられた橋です。下の写真の川が七瀬川と言います。

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藤森神社は菖蒲の神社として、菖蒲(端午)の節句に駈馬神事が行われます。菖蒲は勝負と同音であることから、馬関連の事柄の祈念で知られています。

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祭神は神功皇后舎人親王などです。重文の本殿は中御門天皇賢所を下賜されたものです。同じく、重文の大将軍社、八幡社は足利義教によって建立されました。

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藤森神社に涌く水は、二つとない、不二の水と言います。 志納金を納めますが、ほとんど無料でいただけます。訪問した時も汲まれていました。量の多さに驚きましたが、業務用ではなく家庭用だそうです。ろ過装置が入ったそうで、安心できるとか。

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手水舎の水鉢の台石は、宇治川の浮島の十三重石塔の一部を石川五右衛門が取ってきたものとか。石塔の一部の色が変わっているのはそのためとか。十三重石塔はチェックしにいこうと思います。


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そろそろ最後の伏見桃山に近づいてきました。御香宮神功皇后仲哀天皇応神天皇などを祀っています。平安時代の創建です。名前の通り、こちらも良い香りの水が湧き、御香水といいます。こちらも飲めるそうです。
本殿は徳川家康の造営で、表門は伏見城の遺構と伝わります。天然ん記念物のソテツがあります。

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やっと伏見桃山駅に到着しました。大手筋通りに銀座跡の石碑があります。徳川家康が伏見に銀貨の鋳造所である銀座を開き、大黒常是に鋳造を担当させました。

ここから、京阪電車に乗って帰路につきました。

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(2018年11月3日)