左京区市原野
本日は左京区静市市原町です。京阪出町柳から叡山電鉄に乗り換え市原野駅で降ります。どういうわけか市原駅のホームに後藤顕乗の墓石があります。後藤家は金工で名をなした名家です。探訪していると時々とんでもないものがあります。
そこから南に行ったところに川島織物セルコンがあります。敷地内にある織物文化館に行きたかったのですが休日は閉まっていました。残念です。
セルコンの近所を歩いていると、門構えの不思議な家屋がありました。自宅の庭に何台か車が止まっていました。何かのお店のようですがお店の名前しか上がっていません。後でネットで調べたら有名な鳥料理専門店だそうで、京都市内中心部からここまで(市原)食べにくる人もいるそうです。何かの機会に食事できたらいいなと思います。
その理由は小町の百人一首の歌に代表するように厭世観に富んだ歌が各所で残されているためと考えられます。老衰像というのは絶世の美女も齢を重ねると老婆になるという日本人特有の無常観が表現されているようです。
ちなみに、老衰像は江戸時代の作品だそうで、小町が生きていた平安時代とは相当の開きがあり、江戸時代の人も小町に同じような感情を抱いていたと考えられます。ただ、この像は見ていてあまり気持ちのいいものではありません。
「花の色はうつりにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに」
大意:花の色が色あせると同じように私の容姿もすっかり色あせてしまった。
小町寺のあたりを篠坂峠と言い小山の上に位置しています。その峠のあたりには寺院が集積していて、鞍馬川近隣の村々の惣墓を形成しています。それは、鞍馬川が、平安京の神聖な河川である賀茂川に流れ込むため、川の上流である鞍馬川に死者を葬るのが憚れたためです。そのため、村とは離れた山の上に葬ることになったそうです。
その途中に二軒茶屋駅がありますが、 ここは最近まで、茶屋があったことからそういう名前がついたそうです。今でも茶屋跡に子孫の方が住んでおられます。
しばらく行くと更雀寺があります。ここは、左遷された藤原実方が雀になって清涼殿に飛来し、米を食い荒らしたという伝承が残っています。境内には実方を慰めた雀塚があるそうですが、拝観謝絶されていました。ちなみに更雀寺は四条大宮にあったのが昭和になんて移ってきたそうで、伝承の割には結構新しそうなのが合点がいきました。
(2012年7月22日)