左京区北白川
志賀街道沿いにチョコレート工房がありホワイトデーのお返しにトリフを買いました。
さらに東に行くと白川があり、橋を渡ると北白川産土神の天神宮があります。このあた照高院宮ゆかりの土地で、天神宮入り口の橋の欄干には照高院宮の紋の菊があしらわれています。
本殿のほうに行ってみました。
御神水が湧き出ていました。飲めるようで遠方から来られる方もおられるようです。
拝殿には三十六歌仙がありました。本殿は特別なことはないようです。
帰りにふと山の中腹に何やら奇妙なものを発見しました。たまたまですが、参詣されている方もおられました。横にある石碑を読むとこの不思議なモニュメントは医学者が建立されたようで、医学と神の加護は一体のような趣旨のことが刻まれていました。それにしてもこの形状はどういう意味があるのでしょうか。
先述した照高院宮は明治になり、智成親王が還俗し北白川宮を興されました。そして東京に移住されるにおよんで、この地にあった北白川の邸宅(照高院宮殿)は取り壊されました。今は石垣だけが残っていて往時が偲ばれます。
次は瓜生山です。この山は照高院宮の北にある東山三十六峰の一つです。登り口には「北白川史跡と自然の道」の看板があります。登って行ってはみましたが・・・、結構道がしるく途中で断念しました。
戻る途中の日本パブテスト病院があります。その横には江戸後期の歌人で「ただごと歌」を提唱した、平安四天王の一人小澤蘆庵を含めた古そうな墓が小山の上にあります。
この病院の敷地は江戸時代には心性禅寺の所領でした。それが明治になって廃絶し島津製作所の二代目島津源蔵の邸宅になりました。その後病院という変遷がありました。さきほどの墓石は、もともとは心性禅寺にあったもので行き先がなくなり、小山に移されたと伝わっています。
その病院から勝軍地蔵堂がある北白川幼稚園を目指します。勝軍地蔵はもとは瓜生山にあり山の地蔵として祀られていましたが、昭高院門主がこの地に移設しました。それにしても険しい山道です。山道は狭くて車の通行は無理です。車が来れる山道の下から園児が通うのに百メーターあるそうですが毎日のことなので園児とお母さんは大変だと思います。目に浮かびそうです。
肝心の勝軍地蔵は今はここにはなく白川通りの禅法寺にありますが、お堂は幼稚園にありましたが、工事中のため近づくことが出来ませんでした。残念。
最後は禅法寺です。山道を下り、白川通の京都造形芸術大学に向かいます。禅法寺はその大学の横にあります。写真の地蔵大菩薩の灯篭の後ろのブロック塀は大学の建物です。大学とお寺の境界がわかりにくく、大学敷地内にお寺があるように見えます。このように京都市内にはごちゃごちゃとしていて近代的な建物に古いものがコラボする興味深い景色が時折見られます。
大学前のバス停からバスに乗り帰路に着きました。
(2013年3月3日)