宇治1
JR宇治駅を出て宇治橋通のほうに行くと茶問屋中村藤吉本店があります。宇治茶の販売とお茶の喫茶店が併設されています。店内に入るとお茶のいい香がします。ここの庭にある宝来舟松(下写真)は有名です。写真だけ撮らしていただきました。
そこから南の宇治市役所に向かいます。このあたりは元々お茶園が点在していて市役所のあるところもその一つでした。下の写真の琵琶園の石碑は市役所の前にあります。
市役所の前の道をさらに南に進むと、下居神社があります。この神社はここらでは最も古いそうです。説明板によると万葉集の額田王の歌の「宇治のみやこ」の場所とか、三代実録の記述にある「降居神」はここだとかの説があるそうです。
この資料館から宇治川の方に行く途中に藤原頼道娘の寛子(後冷泉天皇皇后)が創建したと伝わる金色院跡があります。 鎮守の白山神社、寛子供養塔九重石塔などなど残っていて当時が偲ばれます。金色院は中尊寺金色堂のモデルになったとか、現存していれば国宝間違いなしです。
金色院跡からもみじ谷を通り、宇治川ラインに抜けます。このもみじ谷は紅葉の名所になっています。自然の中のカエデ群生というところでしょうか、寺院の庭の紅葉とは少し趣が異なりますが。行程は1kmほどあります。
平等院を拝観しました。超有名なところなのでブログでは省略しますが、塔頭勝最院(左下写真)は今でも住持の方が住まれているそうで中は拝観できないそうです。源頼政は平氏打倒の兵を上げたが、奮闘むなしく扇の芝(右下写真)のところで自刃したと伝わります。勝最院に頼政の墓もあります。平等院で自刃したと伝わりますが、なにしろ平安時代のことなので、正確な位置の確定は難しいかと思います。
今回の行程では平等院は表参道ではなく裏から入りました。その裏から出たところに観光バスが止められる平等院の駐車場に南泉房跡の説明看板があります。当日も駐車場に多くの観光客がおられましたがその看板に目に止める人はいません。
以下看板の説明です。
「宇治拾遺物語序文に、源隆国という人物が平等院の南の南泉房に滞在し往来の人々から説話を聞き取った、とある。それが宇治拾遺物語や今昔物語の母体となったと言われています。平成九・十年度の(駐車場のうしろの山の)発掘調査で庭園の跡が見つかり、南泉房の実在が現実味を帯びてきた。」
看板に目を止める人はいないと書きましたが興味のない人にはどうでもいい話で、これが村おこしにとか考えなくても、横に世界遺産の平等院がありますし、わざわざ無名でマニアックな南泉房の宣伝を積極的にしなくてもいいか?
(2012年1月29日)