京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

鳴滝

今日は嵐電鳴滝駅から始めます。そもそも嵐電っていうのは路面電車のような鉄道で、駅も何かバス停のような感じがします。下の写真にもあるように駅に隣接して民間の食堂があったりして、また券売機や改札もないですし、運賃は降りるときに現金で払ったりとかします。ローカル線で趣があるとも言えますが。
 
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駅のすぐ東側に暲子内親王の墓があります(下写真参照)。宮内省の管理です。暲子内親王鳥羽上皇の皇女で皇后以外で初めて院号を与えられ、八条女院と呼ばれています。
ちなみに、明治以前は天皇のことを、○○天皇とは言わずに、○○院と称していました。その後、皇族以外でも法名に○○院と付けるようになったため、院号の値打ちが下がったそうです。そこで新たに天皇のことを○○院と呼ばずに、○○天皇と呼ぶようになりました。先に鳥羽天皇と書きましたが、当時は鳥羽院と尊称されていました。暲子内親王は皇女の身分で院号を与えられたというのは破格の扱いだったようです。
 
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鳴滝駅から西に1kmほど行くと千代の古道の石碑があります。古来から嵯峨野に向かう古道だそうで、いくつかの候補の道があります。たびたび歌に出てくる小路で観念だけという説もあるようです。
 
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 一条通りを右折して、御室川のほうに行きます。鳴滝橋を渡り了徳寺を目指します。一条通りは車の往来が多く少し怖いですが、そこからそれて一歩入ると比較的静かでいい雰囲気を醸し出しています。
了徳寺の近隣に鳴滝の由来となった旧家があります。旧家の先祖が、御室川の滝が鳴ったため洪水を察し避難して助かった。そこから鳴滝と呼ばれるようになったとか。
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肝心の了徳寺は大根焚きで有名ですが、普段はひっそりしていてお詣りされる方も少ないようです。思ったよりも小さいお寺です。
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了徳寺から清滝道を西に行きます。清滝道と御室川が近づくところに芭蕉句碑があります。下の写真のようにこの場所は滝があることから、鳴滝と呼ばれた所以で、また行者の祠があり霊場のような神聖な場所だったようです。
 
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そこから御室川に沿って数十メーター行ったところに「拾遺都名所図会」に載っている宅間塚があります。絵師の宅間勝賀が高山寺明恵春日神のやりとりを盗み見て絵を描いた。罰が当たり、この地で落馬して亡くなった。よくわからない話です。供養塔はそんなに古いものではないようです、江戸時代か明治のころのものでしょうか。ちなみに、このあたりの地名は宅間町です。
 
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宅間町から清滝道をさらに、上がった地名は般若寺町です。ここは蜻蛉日記藤原道綱母の駆け込み寺の般若寺があったところです。ガイド本などには般若寺跡の塚があるとか書いていますが、それは農園の敷地内にあり、農園の方に了解を取るといっても休日は誰もいませんし、断念しました。拝観しようとすると不法侵入覚悟で入っていかなければなりません。
このように歴史的に重要な史跡が個人の管理や裁量にまかされているものが時々あるようです。具体的に申しませんが、名のある地蔵尊が撤去されていたという最悪の結果に遭遇したこともあります。 
清滝道をさらにいくと平岡八幡宮がありますが、このへんにしときます。
  
 
(2011年1月24日)