千本通りから大徳寺
今から千本通りを上がって行きますが、ここから北大路まで有名どころの寺院が並んでいます。
まず、石像寺(通称釘抜地蔵)です。ここは空海の創建ですが、後に重源が浄土宗に改宗しています。重源は平重衡によって焼き討ちにあった東大寺を再建し、どちらかというと南都寺院で時々名を聞きますが、京都ではあまり聞きません。
路の西側に引接寺(通称・千本閻魔堂)があります。ここはあまり知られていませんが尼寺です。開基は小野篁で普賢像桜や定覚の大念仏狂言で有名です。また、紫式部の供養塔があります。どうして紫式部の供養塔があるのか。一説によると紫式部は小野篁の追っかけをしていたとか。定かではありませんが。ちなみに、引接とは死者を極楽浄土に導くことです。
次は上品蓮台寺です。聖徳太子の開基で、根来寺の性盛が復興し近隣に十二の子院があったと伝わります。定朝、金工後藤家の墓、阿刀氏(空海の母)の供養塔があります。そういえば寺院の道の向い側にも後藤祐乗の墓がありますが、もと子院の寺領であったのでしょうか。
ここから大徳寺に向かいます。どこをどう行ったか覚えていませんが、路地を歩いているとやすらい祭に遭遇しました。ラッキーです。
今回は高桐院と総見院に行きます。
まずは高桐院です。ここは細川忠興(三斎)が父藤孝(幽斎)の菩提寺として建立し、その後代々細川家の菩提寺としてあります。元首相の細川護熙氏は子孫です。祇園の正伝永源院も細川家の菩提寺ですが、こちらは室町時代の管領細川家の本家の菩提寺で、細川藤孝は分家筋にあたります。今では分家の方が有名です。細川家はガラシャ、明智光秀、古今伝授など大河ドラマの素材にことかきません。
そうこうしていると、なにやら音楽が聞こえてきたと思ったら、赤い装束の一行が高桐院に入ってきました。大徳寺に来る途中で遭遇したやすらい祭の巡行です。町内を回っているようですが、見学することができ非常にラッキーな日です。
今日はやすらい祭ということで今宮神社に行ってみます。普段はそんなにひとがいませんが、今日はいっぱでした。
あぶり餅を食べようかと考えていましたが、待っている人で混雑していたのでやめました。残念ですが、次回にします。
今宮神社が出たのでこの場を借りて、昔に拝観したときの記録を載せておきます。
摂社の織姫神社や神占石の「阿保賢さん」が有名です。
建物の天井近くに、江戸時代の多くの絵馬が奉納されていました。その中の何点かは絵師の海北家が描いたもののようです。おそらく絵馬の奉納者が海北家に絵を注文したんだと思います。
初代の海北友松の絵画は建仁寺や妙心寺の重要文化財に指定されているものもあります。二代友雪、三代友賢までは時々美術館で見かけます。それ以降は落ちぶれ、いち町絵師になってしまったというのを聞いたことがあります。
今宮神社に奉納されていたものはいたみが激しく、海北家のことを思うと少し悲しくなりました。
この日は、あぶり餅の二店はあまり客がいなく、すいていました。行くならこんな時です。
(2012年4月8日)