京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

蹴上・琵琶湖疏水

京都新聞にゴルデンウイーク期間、蹴上浄水場つつじ一般公開と載っていたので行ってみました。普段は三条通りを車やバイクで通るだけで、あまりなじみがありません。
その前に付近の地図を載せておきます。
 
イメージ 10
 
浄水場は地下鉄蹴上駅を上がってすぐのところにあります。
出てみると案内の方が立札を持っておられ誘導されていました。
 
イメージ 1
イメージ 5
5月3日に行きましたが、今年(2013年)は今の時期、例年に比べて少し寒いので開花が遅めでした。下の写真にあるように満開ではなかったです。この日は結構暑かったです。
 
イメージ 6
 
浄水場内に与謝野晶子の碑があります。普段は浄水場に入れないので見れるのはこの時だけです。下左写真の石に「御目ざめの鐘は知恩院聖護院いでて見みたまえ紫の水」と書かれています。(途中かすれてわからなくなっていますが)
ここに旅館辻野があり、そこで与謝野鉄幹と晶子が結ばれたところとして、子孫が記念碑を建立したとあります。
そういえば、昨年、琵琶湖疏水記念館で何か忘れましたが説明会を聴講した時に、琵琶湖疏水が開通した当初は、疏水の水は飲めなかったという説明を受けました。したがって、当初、浄水場はなく民間の土地で、旅館があっても不思議ではない。
少し後になってコレラの流行とともに浄水場建設に拍車がかかったそうです。
 
イメージ 7イメージ 8
 
下の写真のように、おそらく明治時代の建物と思われますがいまだに現役のようです。ただし、レトロなのは外壁だけで、中味は近代的な設備が入っているそうです。
 
イメージ 2
 
ここは少し小高い丘の上にあるので東山が一望できます。下の写真の中央に写っている建物は南禅寺三門です。奥に、永観堂が見えます。
 
イメージ 9
これで、今日の目的であるつつじ見学は達成しましたが、せっかく来たので探訪してみます。というわけで、三条通りを渡り、山の方の日向大神宮を目指します。
浄水場から日向大神宮まで数百メーターありますでしょうか、結構な坂なので暑い時はつらいです。
日向大神宮は京のお伊勢さんと言われるように京都ではめずらしい神明造りの社です。
イメージ 3
本宮の階段の端にシャガ(ジャポニカ)の白い花が咲いています。
また、ここは東山遊歩道の出入り口になっていて登山の方も結構いらっしゃいました。
 
イメージ 4
 
ここから、蹴上船溜、インクラインの方に向かいました。下の写真の向こう側に舟を運ぶためのインクラインが見えます。今は遺産として往時をしのばせます。
 
イメージ 11
インクラインの横の公園に導水管が置かれていました。直径1.65mだそうです。大変大きなものです。
 
イメージ 12
すぐ横に琵琶湖疏水を設計した田辺朔郎の像があります。第3代京都府知事の北垣国道に見込まれた工部大学校(東大工学部)出身のエリートです。それにしても
大津三井寺横の三保ヶ崎からよくもこんなところまで水を引いたなと明治の人の偉大さを感じます。
そういえば、京都市は疏水の遊覧船を検討しているとか聞きました。安全が確保されるなら大歓迎です。
 
イメージ 13
さて、次は水路閣に行こうと思っていましたが、昼になりおなかが減ってきたのでどこかで食事をしようと思います。せめて三条通りに出ないとなさそうなのでインクラインのねじりまんぽを通ることにします。
ねじりまんぽとは誰が命名したか変な名前ですが、ここ以外では存在を知りません。下の写真にもあるように確かに煉瓦がねじられて(らせん状)積み上げられています。こうすると強度が増すそうです。
ここは説明板もないので、知らない観光客はそのまま素通りします。
 
イメージ 14
 
三条通りに出て岡崎道まで行き食事しました。ここまできたら仁王門通りの無鄰菴が近いので寄ってみました。山形有朋の別邸で小川治兵衛作庭の庭で有名です。入り口でいただいた簡単なパンフレットを見るだけで、説明員の説明があってもいいかなと思いました。特に洋館は日露戦争直前の日本の外交方針を決定する無鄰菴会議が開かれた場所です。その部屋はあまり見たことがないような意匠でした。
豪華なソファとカーペット
壁には金泥の日本画
天井は折り上げ二重格天井というような和洋混在です。
特に、天井の折り上げ部も和式ながらなんとなく洋風の趣があります。写真撮影は一切禁止です。
 
イメージ 15
イメージ 19
 無鄰菴から国際交流会館まで行き南禅寺のほうに行きます。三門まで来ました。有名なので説明するまでもないですが、藤堂高虎が寄進した門で、石川五右衛門の歌舞伎楼門五三桐の舞台となりました。
 
 
 
 
イメージ 20
イメージ 21
 ここから、南禅寺の横の道を上りやっと、水路閣まで来ました。古代ローマの水道の意匠ですが・・・。なぜ、こんなところに、こんなものがあるのか。
このことについて、先述した昨年の琵琶湖疏水記念館説明会の質疑応答でこんな話がありました。
質問:海外の大学の先生が水路閣に学生を連れてこられて、古代ローマの意匠で水道     が現存しているのは世界中でここだけである。よく見ておくようにと学生に言われ     ていました。ところで、どうしてローマの水道がここにあるんでしょうか。
研究員:おそらく、田辺朔郎はこの意匠しか設計出来なかったようです。大学で習ったも     のをそのまま造ったということです。本来、横の南禅院に通す計画でしたが、南      禅院は亀山上皇離宮跡ということで、さすがに天皇ゆかりの寺院に通すという     のは出来なかったそうです。
 
イメージ 22イメージ 23
さて、ここから同志社墓地に向かうことにします。今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のパンフレットには若王子神社からのルートが書かれていますが、水路閣からも行くことが出来るようです。水路閣の東にある駒ヶ瀧の上の道を登って行きます。左下の写真にある端を渡り、右写真の滝の上に登る道があります。少し山道なのでスニーカーがいいと思います。それにしても、今日は晴天で暑いぐらいですがこの往復の山道で誰にも会いませんでした。
イメージ 25イメージ 24
ほどなくして、墓地に着きました。正面が新島襄、横が八重の墓です。
同志社はキリスト系だったと思いますが、見た感じはあまり宗教色を感じません。墓石を見る限りでは仏教のようにも見えますが、阿弥陀さんも出てきませんし、かといって十字架もないです。
墓地案内図を見ましたら、八重の桜のキャストを見ているようでした。
イメージ 16
イメージ 17イメージ 18
山道を下り、南禅院から蹴上船溜までいき、ねじりまんぽをくぐり地下鉄蹴上駅から帰路に着きました。
 
(2013年5月3日)