蹴上・琵琶湖疏水
その前に付近の地図を載せておきます。
出てみると案内の方が立札を持っておられ誘導されていました。
5月3日に行きましたが、今年(2013年)は今の時期、例年に比べて少し寒いので開花が遅めでした。下の写真にあるように満開ではなかったです。この日は結構暑かったです。
浄水場内に与謝野晶子の碑があります。普段は浄水場に入れないので見れるのはこの時だけです。下左写真の石に「御目ざめの鐘は知恩院聖護院いでて見みたまえ紫の水」と書かれています。(途中かすれてわからなくなっていますが)
ここに旅館辻野があり、そこで与謝野鉄幹と晶子が結ばれたところとして、子孫が記念碑を建立したとあります。
そういえば、昨年、琵琶湖疏水記念館で何か忘れましたが説明会を聴講した時に、琵琶湖疏水が開通した当初は、疏水の水は飲めなかったという説明を受けました。したがって、当初、浄水場はなく民間の土地で、旅館があっても不思議ではない。
下の写真のように、おそらく明治時代の建物と思われますがいまだに現役のようです。ただし、レトロなのは外壁だけで、中味は近代的な設備が入っているそうです。
これで、今日の目的であるつつじ見学は達成しましたが、せっかく来たので探訪してみます。というわけで、三条通りを渡り、山の方の日向大神宮を目指します。
浄水場から日向大神宮まで数百メーターありますでしょうか、結構な坂なので暑い時はつらいです。
日向大神宮は京のお伊勢さんと言われるように京都ではめずらしい神明造りの社です。
本宮の階段の端にシャガ(ジャポニカ)の白い花が咲いています。
また、ここは東山遊歩道の出入り口になっていて登山の方も結構いらっしゃいました。
インクラインの横の公園に導水管が置かれていました。直径1.65mだそうです。大変大きなものです。
ねじりまんぽとは誰が命名したか変な名前ですが、ここ以外では存在を知りません。下の写真にもあるように確かに煉瓦がねじられて(らせん状)積み上げられています。こうすると強度が増すそうです。
ここは説明板もないので、知らない観光客はそのまま素通りします。
三条通りに出て岡崎道まで行き食事しました。ここまできたら仁王門通りの無鄰菴が近いので寄ってみました。山形有朋の別邸で小川治兵衛作庭の庭で有名です。入り口でいただいた簡単なパンフレットを見るだけで、説明員の説明があってもいいかなと思いました。特に洋館は日露戦争直前の日本の外交方針を決定する無鄰菴会議が開かれた場所です。その部屋はあまり見たことがないような意匠でした。
豪華なソファとカーペット
壁には金泥の日本画
天井は折り上げ二重格天井というような和洋混在です。
特に、天井の折り上げ部も和式ながらなんとなく洋風の趣があります。写真撮影は一切禁止です。
このことについて、先述した昨年の琵琶湖疏水記念館説明会の質疑応答でこんな話がありました。
質問:海外の大学の先生が水路閣に学生を連れてこられて、古代ローマの意匠で水道 が現存しているのは世界中でここだけである。よく見ておくようにと学生に言われ ていました。ところで、どうしてローマの水道がここにあるんでしょうか。
研究員:おそらく、田辺朔郎はこの意匠しか設計出来なかったようです。大学で習ったも のをそのまま造ったということです。本来、横の南禅院に通す計画でしたが、南 禅院は亀山上皇の離宮跡ということで、さすがに天皇ゆかりの寺院に通すという のは出来なかったそうです。
さて、ここから同志社墓地に向かうことにします。今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のパンフレットには若王子神社からのルートが書かれていますが、水路閣からも行くことが出来るようです。水路閣の東にある駒ヶ瀧の上の道を登って行きます。左下の写真にある端を渡り、右写真の滝の上に登る道があります。少し山道なのでスニーカーがいいと思います。それにしても、今日は晴天で暑いぐらいですがこの往復の山道で誰にも会いませんでした。
ほどなくして、墓地に着きました。正面が新島襄、横が八重の墓です。
同志社はキリスト系だったと思いますが、見た感じはあまり宗教色を感じません。墓石を見る限りでは仏教のようにも見えますが、阿弥陀さんも出てきませんし、かといって十字架もないです。
墓地案内図を見ましたら、八重の桜のキャストを見ているようでした。
山道を下り、南禅院から蹴上船溜までいき、ねじりまんぽをくぐり地下鉄蹴上駅から帰路に着きました。
(2013年5月3日)