高瀬川(今出川~二条)
河原町今出川を下がり、すぐ小路を左折します(河原町通の東側)。しばらく行くとセントトーマス学院の洋館があります。この建物は武田五一が設計したもので明治時代の貴重な建造物です。拝観不可です(外観写真は掲載しません)。
その学院の横の路地を通り、鴨川のほうに行くと高瀬川の取水口(下写真)があります。現在はここが高瀬川のスタート地点になります。コンクリートの下のスリットから入り、しばらく暗渠として丸太町通まで下ります。
ところで、このあたりの町名は梶井町と言います。下の写真の向こうに見えているは京都府立医大ですが、やはり同じ町内です。というのもこのあたりは公家の梶井家の所領でした。一般には三千院の梶井門跡として知られています。ここらあたりに公家屋敷が多かったのは京都御所からほど近いのと無縁ではありません。
府立医大を下がったところから再度東に曲がり小路を行くと、宿泊施設KKR京都くに荘があります。ここは明治になってからですが昭和天皇皇后の実家の久邇宮邸があったところです。幼少のころ一時期お住まいになられたとかが植込みの説明板に書かれています。
さらに下り、東三本木通に行きます。この通りは今は普通の住宅街になっていて面影はまったくないですが、江戸後期から明治にかけて遊郭街でした。当時の遊郭がどんなところだったのかわかりませんが、今の風俗街とは少しニュアンスが違うような気がします。
というのも、次に示すようにこの小路にはいろいろドラマがあったようです。
吉田屋跡:幕末の勤王志士たちが密会を繰り返す。桂小五郎愛妾・幾松が過ごす。
立命館草創の地:1900年、京都法政学校設立
九条殿屋敷→女紅場→電話局
電話局の建物はそのままで→カーニバルタイム(西洋クラブレストラン)→スポーツジム→スーパーマーケットフレスコ
私が京都に来たのが30年ほど前ですが、その時はカーニバルタイムでした。何回か行きましたが、それからおそらく20年ぐらいはレストランだったと思います。フレスコになってから興味本位で覗いたことがありますが、スーパーマーケットにしては変なところに柱や壁があり、往時を知っていますのでなつかしかったです。
(2010年9月5日)