京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

巨椋池と太閤堤

2013年のゴールデンウイークに行ってみることにしました。というのもここは広大な巨椋池があった埋立地で、さえぎるものがあまりなく、昨年のような真夏の時期やあるいは冬の季節には厳しくて行くことを躊躇していました。
暖かくなるのを待っていました。
 
近鉄京都線向島駅まで行きます。ただ、ここは自宅の山科区からは行きにくいところです。京都市地下鉄東西線京都市中心部の烏丸御池まで行ってから、烏丸線に乗り換え南下します。烏丸線の電車がそのまま近鉄線になります。すごい遠回りです。
 
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ここは巨椋池に浮かぶ向島でした。後で出てきますが太閤秀吉は巨椋池の島々を結ぶ小倉堤と宇治川を迂回させた填島堤を造営しました。(下の写真は巨椋池にある島々は描いていないようです。)
 
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向島駅から数十メーター南に下がったところが巨椋池干拓地)の情景がわかるということです。写真ではわかりにくいですが広大な平地が広がっています。
 
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線路の横の道を南に歩いていくと、道の左側に平行して小倉堤があります。下の写真のように堤で一部歩けるところがあります。
 
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この堤の道は住宅街になっていて、下の写真のように堤の上が二階、堤の下が一階玄関というような造りの家が並んでいます。
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それとこのあたりの旧家の屋根を見ていくと、寺院建築のような凝った瓦が多数見られました。京都市内の町屋とはまた違っています。
 
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京滋バイパスまで行ったところの小川の河川敷に巨椋池干拓の説明板(下写真)があります。特に説明することはありませんが、見ていただければわかるかと思います。
 
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 さらに京滋バイパス沿いに行くと、お茶の丸久小山園の槙島工場があります。平日は工場見学(要予約)出来るそうですが、ゴールデンウイークは閉まっていました。 
 
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 そこから府道24号線を下がると巨椋神社があります。その横の小倉公民館に玉露製茶発祥の地の石碑があります。
それによると、巨椋池の周辺は肥沃な土地で宇治茶の名産地である。天保六年、山本嘉兵衛(山本山の六代目だそうです)が小倉にある木下吉左衛門の製茶工場で試作したお茶を江戸に持ち帰り「玉の露」として販売したところ評判となったとあります。
 
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そこから、宇治川のほうに行き、宇治川の側道となっている填島堤の下に中西伊之助生誕の地碑が民家の壁にあります。
ウイキペディアで調べてみました。中西伊之助は労働運動に参加し、プロレタリア文学の作家として注目されたそうです。
今は、中西伊之助研究会というのがあるそうで、このあたりが生誕の地で間違いないようですが、この民家で生まれたのかどうかは疑わしい。というのも、この民家の向かいは児童公園になっていますが、元は槙島小学校であり、生家は小学校建設で移転したそうです。
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 ようやく宇治川に出ました。
 
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京阪宇治駅まで行き、高架をくぐり裏側に抜け、線路沿いを行くと、菟道稚郎子の墓があります。ただし、宮内省の管轄で入れません。
菟道稚郎子はここの近くの宇治上神社の祭神。
これらのことから、ここに菟道稚郎子の墓があるのは自然なことかもしれません。
 
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菟道稚郎子の墓の横が最近発掘された太閤堤跡です。まだ発掘中のようでブルーシートが敷かれていて見学はできませんが様子はわかります。
 
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京阪宇治駅から六地蔵駅まで行き、地下鉄東西線に乗り換え帰路に着きました。 
 
(2013年4月29日)