伏見深草
この稲荷駅という名前の由来になったのが駅向かいにある伏見稲荷大社です。一般には本殿あたりしかお詣りしませんが、この一帯はパワースポットのようで、東南の立命館高校の裏山にもおびただしいお稲荷さんが祀られていて怖いぐらいです。
次に山側の石峰寺を目指します。伏見稲荷の南の道を東に上って行きます。途中で南に折れぬりこべ地蔵の横を通ります。歯痛にご利益があるとかで地区のパンフレットにも載っているようなところですが、墓園の中にあるというのは他で見たことがありません。
ここから数十メーター行くと石峰寺の案内が出ていますので東に左折します。この寺は伊藤若冲の墓や本堂裏山の五百羅漢石仏で有名です。
ぬりこべ地蔵の道まで戻り、南に行くと茶碗子の井戸があります。都名所図会にも良い水と記載があるようです。
ずーっとJR奈良線に沿って南下していきます。まず宝塔寺があります。ここは藤原基経創建の真言宗寺院(極楽寺)でした。いまは、日蓮宗で日像廟所もあります。前にも鶏冠井の投稿で書きましたが、時の住持の良桂が日像と論争し、良桂が破れました。良桂は真言宗から日蓮宗に改宗しました。良桂自身が改宗するのではなく寺院そのものが改宗します。ということは良桂に帰依している檀家も半ば強制的に改宗させられる今ではちょっと考えられない展開です。
宝塔寺の名前のとおり、重文の宝塔があります。
真宗院から奈良線のほうに行くと線路の脇に深草十二帝陵があります。後深草天皇から後陽成天皇までの十二代の天皇の廟所です。時代でいうと鎌倉から安土桃山時代ですが、これは時代時代の天皇の権威と関係があります。特に鎌倉以降は武士の世の中になり天皇の権威が著しく低下し、天皇陵も1代ずつ造営することが財政的に難しかったので共同墓地になっています。その点、明治天皇以降から現在の皇室は最もめぐまれていると言われています。下の写真にあるように踏切の横が天皇陵ですが、さすがに、国鉄も天皇陵を移転させることはできなかったと思います。
さきほどの、深草十二帝陵の踏切を渡ると、聖母女学院に行きつきます。旧陸軍第十六師団司令部の庁舎でした。重厚な建物です。中に理源大師の沓塚があるそうですが、入るのは事前に許可がいります。今回は断念しました。
聖母の西側で名神高速の高架を超えたところに西岸寺があります。ここは説明板にあるように関白九条兼実の娘で親鸞の妻となった玉日姫の廟所があります。玉日姫は建永の法難で流罪となった親鸞の安否を気遣いながらここで往生したと書かれています。
流罪の時に女性が帯同することがよくあったようですが、聖人に聞かなければわかりません。同一人物という説もあるようですが。
(2009年5月31日)