八幡
今でも逢坂山の近くの名神東インター入り口あたりの土産物屋(井筒八ッ橋だったか?)で走井餅が売られているようです。
名水・走井は逢坂山の月心寺にあり、餅屋は月心寺の地で営業していたそうです。ちなみに月心寺は橋本関雪の別邸だったとか。
余談ですが、このお寺は少し前まで精進料理を提供されていました。テレビで紹介されるなど、結構有名で遠方から来られる方もおられたようです。一度いっておけばよかったと思います。
石清水八幡宮方面に歩いて行くと八幡さんの頓宮があります。頓宮とは御旅所のことです。
ここから八幡さんの本宮に行くには急な山道を登って行かなければなりません。しんどい時はケーブルもあるので利用できます。
石清水八幡宮は大安寺の行教が宇佐八幡宮を勧請したことに始まります。伊勢神宮に次ぐ社格を有しています。本宮は八幡造りで有名です。古来、戦勝の神として、特に源氏の氏神として崇敬されました。鶴岡八幡宮は石清水八幡宮を勧請しています。
石清水八幡宮は明治の神仏分離令がかなり厳しかったようです。というのも八幡大菩薩は神仏習合、本地垂迹説のど真ん中でした。分離令は要するに純粋な神道になれというものですから、八幡(神)なのか、菩薩なのかはっきりさせろという理不尽な要求でした。
分離令で追い出されたゆかりの遺物(仏教部分)が、八幡宮の男山の近隣の旧家に多く残っていて、預かった方は散逸させないように極秘に命がけで守ったそうです(仏具の預かりが多かったとか)。
松花堂昭乗の系譜は以下のようになっています。
俗名・中沼式部
俗兄・中沼元知は関白・近衛前久の養子となる
中沼元知の室は藤堂高虎の娘
中沼元知と小堀遠州は義兄弟
兄がキーパーソンのようです。兄弟仲がよかったんでしょうか。
男山を降りて、松花堂美術館をめざし、東高野街道を南下します。
善法律寺が左手に見えてきます。別名紅葉寺です。
お寺を創建した善法寺宮清は石清水八幡宮の検校でした。
行ったのが、紅葉の季節でなかったのが残念です。