京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

花園

JR嵯峨野線花園駅から北の丸太町通りに出たところに法金剛院があります。
下の説明板にあるように、ここは清原夏野の山荘を改修し、双丘寺としたことに始まります。その後、いろいろ変遷があり、待賢門院璋子が再建しますが、最終的には融通念仏狂言の円覚が律宗に改宗し現在に至っています。
本尊の重文・阿弥陀如来像は院覚の手によります。
 
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また、庭園は青女の滝(下写真)で知られ特別名勝庭園に指定されています。
青女の滝は三千院有清園の作庭として知られる林賢と仁和寺僧・徳大寺静意が完成させました。来歴がはっきりしている、平安時代の庭園として貴重です。
また、蓮の寺としても知られ、6-7月には池一面に蓮の花がきれいです。
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法金剛院の裏山に待賢門院陵や上西門院陵がありますが、ここは思ったより広大な土地で陵墓の参詣は別の機会とします。
(上西門院は鳥羽天皇皇女で母は待賢門院です。)
 
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ここから東に行き妙心寺道に入ります。左手に妙心寺の南総門が見えますが、そこを過ごしたところのラーメン屋の横に願王寺があります。
説明板によると、このあたり一帯は木辻(きつじ)と呼ばれ、木辻の発音が吉次(きちじ)に通じることから金売吉次の別邸がこの地にあり、牛若丸が身を寄せていました。吉次は、奥州藤原氏のもとに逃れることになった牛若丸に、吉次の守り本尊の地蔵菩薩に、長途の安全、宿願成就を祈念するように勧めました。願王寺の本尊はその時の地蔵菩薩と伝わります。
 この伝説は上京区の首途八幡宮と被っていて、八幡宮金売吉次の邸宅跡で八幡さんに長途の安全、宿願成就を祈念したとあります。この手の話は各地にあるようです。
ちなみに、「金売吉次」についてウイキペディアで調べてみましたが以下のような結果でした。 
 ◆実際に「吉次」なる人物が実在したかどうかは、史料的に吉次の存在を裏付ける事が不可能であるため、彼の存在は伝説の域を出ず、まったくもって不明である。
金を産出し、それを京で取引していたのは明らかになっている。吉次なる人物のように金を商っている奥州からやって来た商人がいた事は想像に難くない。
したがって現在では、こうした商人の群像の集合体が「金売吉次」なる人物像として成り立ったのではないかと考えられる事が多い。  
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来た道を戻り、妙心寺南総門に向かいます。
ここは一大禅寺ですが、特別期間以外は拝観出来るところは限られています。
通常は、法堂と明智風呂、塔頭では退蔵院、大心院、桂春院の三か所です。全て巡ります。
禅宗だけではないですが、仏教の各宗派は法脈を重要視します。法脈とは宗派の正当な継承者を任命することで、宗派の解釈が時代時代でぶれないようにします。臨済宗妙心寺派の場合は「応燈関(おうとうかん)」の法脈と言われています。
応:大応国師南浦紹妙)、燈:大燈国師(宗峰妙超)、関:関山慧玄
 
大徳寺の開山・宗峰妙超が病を得て、臨済宗の行く末を案じた花園天皇が新たに天皇離宮を寺に改めたことに始まります。妙心寺の開山に宗峰妙超の弟子の関山慧玄に白羽の矢が立ちました。
関山慧玄という人は大変厳格な方だったようです。頂相が伝わりますが、存命中は決して頂相を許可されず、没後何十年もたってからの作品だそうです。この手の話はよくありますし、伝承とは違う人物が描かれていることがよくあるようですが、誰もわかりません。
 
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法堂と明智風呂の拝観ではお寺の方に説明していただけます。
法堂は禅宗の呼び方ですが一般には本堂や金堂と同じ意味で、住持の重要な儀式が行われるところです。狩野探幽の雲竜図が有名です。
また、国宝の黄鐘調鐘も陳列されています。今は使用されていないようですが、録音された音色を聴きましたが、すみません、いいのか悪いのかよくわかりません。
 
次は明智風呂です。ここは明智光秀の追善供養をするために、光秀叔父で太嶺院(廃寺)の密宗和尚が創建しました。
お風呂といっても浴槽があるわけではなく、どちらかというとサウナです。
ところで、どうしてお風呂が供養になるのかという疑問が湧きますが、因果応報の思想だそうです。お風呂を無料で開放することがお布施となり、それが善因として亡くなった方の供養となるそうです。
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ここから塔頭に行きます。まずは、明智風呂から最も近い退蔵院です。
ここは波多野出雲守重通が妙心寺第三世無因宗因に帰依して創建されました。一般には如拙の国宝・瓢鮎図で有名です。本堂前に瓢鮎図の複製がありましたが写真不可でした。
庭園は狩野元信の作庭と伝わります。下写真の庭は余香苑と呼ばれ、中根金作の作庭です。中々趣があり落ち着きます。
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次は、大心院です。もともとは室町時代に現在の上京区大心院町に建立されたお寺です。ちなみに、大心院町妙顕寺の北側にあたります。その後、細川幽斎の尽力で妙心寺内に移築されました。阿吽庭としても知られていますが、宿坊として解放されています。拝観した時も外人さんが宿泊されていました。私はわざわざ宿坊に泊まりたくはないですが、海外の方にしてみたら楽しみかもしれません。
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最後は、桂春院です。ここに行くのには広大な妙心寺山内の迷路のような道を通るので、非日常のような独特な雰囲気を体験できます。
もとは見性院という寺でしたが、美濃の豪族、石河貞政が桂南和尚を講じて現在の建物を整備しました。貞政の父の法名「天仙守桂大禅定門」・母の法名「裳陰妙春大姉」から1文字ずつをとり桂春院と改めました。
苔の庭の落ち着いたしっとりとした雰囲気を醸し出しています。
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(2010年7月4日)