京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

京都国立博物館シンポジウム

今日は京都国立博物館のシンポジウムを聞きに行きました。
お題は「京博が新しくなります」です。今回のシンポジウムは本年9月にリニューアルされる平成知新館の話です。以下のスケジュールでした。
 
Ⅰ.基調講演:京国博の歴史
Ⅱ.講演1:鳥獣戯画
Ⅲ.講演2:蒔絵
Ⅳ.講演3:染織
Ⅴ.講演4:文化財修理
Ⅵ.特別対談(館長×井浦新
 
 
Ⅰ.基調講演:京国博の歴史
今の博物館のある場所は下に示したように古来から由緒のある土地柄でした。
法住寺六波羅政庁→方広寺大仏殿→恭明宮→明治古都館
 
・恭明宮:皇族の位牌。女官の居住所。明治の2年間だけあった。
 ・明治古都館:京国博の前身。明治の廃仏毀釈で軽んじられた伝統文化の保護が目的。仙洞御所に建てられる計画だった。
 
三十三間堂南大門から平成知新館入り口は一直線になる。
 
Ⅱ.講演1:鳥獣人物戯画
現在、東博と京博に二巻ずつあります。高山寺に陳列されているのはコピーです。
甲:東京
乙:京都
丙:東京
丁:京都
 
探幽縮図というものが現存しています。それは狩野探幽が鑑定や修理にあたった絵画をスケッチした画集のことで、その中に鳥獣戯画をスケッチしたものがありました。問題は、探幽縮図にあるスケッチと現存四巻が違っているということです。現存四巻にないものが探幽縮図にあります。甲は元々2巻だったのが、1巻になったと考えられるとのことです。
誰が描いたのかという論争もあります。絵仏師か宮廷画家か。
白描画なのは原画であり、コピーしたものを着色したのではないか。
2013年1月25日に奥州平泉柳五所にカエルの木簡が出土した。鳥獣戯画か単なるらくがきか論争が巻き上がった。
鳥羽僧正と言われているが、探幽縮図には僧正の名は出てこない。
鳥羽僧正は三井寺僧で、そのころ一時期都でマンガが流行り、僧正も描いていたようであるが、鳥獣戯画の作者であるかわからない。
 
今回のリニューアル展では、全4巻と探幽縮図が出品される。
 
Ⅲ.講演2:蒔絵
蒔絵はもともと小箱などの小品に使用されていたが、時代が下がると高台寺蒔絵に代表されるように、邸宅内の柱や大型家具に使用されたことで、豪奢な意匠に進化しました。江戸時代の南蛮図屏風に黒服のイエズス会、グレー服のフランシスコ会の聖人が描かれていますが、彼らは蒔絵の素晴らしさに驚嘆し、骨壺とか形見になるような物に蒔絵を依頼したそうです。
やがて、ヨーロッパからタンスなどの家具に蒔絵の注文を受けるようになりました。
 
Ⅳ.講演3:染織
 リニューアルされる京博には奥行可変の陳列ケースが登場します。今まで大きすぎて展示できなかった袈裟が陳列されます。
袈裟とは、釈迦が決めた僧の衣服で捨てるような小さなきれをつないで作ります。
延暦寺七条袈裟が有名ですが、法脈の正当性を表す威信財です。
インドでは袈裟だけでよかったが、中国、日本では上に羽織ります。海外では袈裟の現存数が少なく、日本で残っているのは、物を大切にする日本人の心が見て取れます。
袈裟の多くは中国製で、袈裟には高僧の名が残っていて、製作年代が判明します。
正伝寺には中国の僧・兀菴普寧(ごつあんふねい)禅師の法を受け継いだ東巌慧安の九条袈裟が残っています。重文。
南禅寺沙門周沢の袈裟(応夢衣)。重文。
 
Ⅴ.講演4:文化財修理
あまり日の目を見ない文化財修理ですが、日本の文化財は紙、木、絹など比較的弱い素材です。千年以上の長い年月を生き抜いてきた文化財は、かつて何らかの修理の手を経ていると言って過言ではない。非常に重要な仕事です。
 
Ⅵ.特別対談(京国博・館長×井浦新
 冒頭の基調講演をされた館長と俳優の井浦新さんの対談です。井浦新さんは京国博大使を務められていることから出席されていました。
実は、俳優の方が来られるのを知りませんでした。なぜか聴衆に若い女性が散見されたので不思議でしたが納得しました。
内容的には、聴衆から集められた質問状を井浦さんが読まれ、館長が回答していくというものでした。
 
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(2014年1月25日)