京の冬の旅
京の冬の旅で数か所行きました。
この手の企画は、非公開寺院が信仰の対象としている本尊や修行の場を見せるのかとか反対意見もありますが、私のような部外者にとっては、日ごろ見れないものを見せていただけるというのは、ありがたいことですし、また拝観料が供養にもなるので、お寺も潤います。
何か所か、日を分けて巡ったのと途中、一部寄り道していますので長い探訪になっています。
1)知恩院の国宝・山門
知恩院山門は徳川 秀忠が創建しました。
山門と二条城築城はほぼ同時代(江戸時代初期)です。いずれも建築物として秀逸で、現代人が見てもすばらしいと思います。江戸時代は近代ですが、科学技術が結構発達していたように思います。
山門の中に入りましたが、写真撮影不可で、2Fから風景を撮るのも禁止されています。京都で、ここまで徹底しているところは少ないと思います。
堂内は極彩色で釈迦如来と十大弟子が祀られています。中井家棟梁夫妻の白木の棺もありました。壁や柱には龍、飛龍、迦陵頻伽、きりんなどあります。薄暗い室内でしたが、極彩色で、どうも浄土宗にしては異色のように感じました。徳川将軍家の体裁を意識され、豪壮華麗な意匠になったということです。
2)阿弥陀寺
上がって行くと特に右手(東側)に寺院が集積しています。多くは、秀吉がこの地に移転させたもので安土桃山時代から動いていません。
阿弥陀寺は織田信長一族の墓所として知られています。開山は清玉上人ですが、産気づいた上人の母が織田信広(信長兄)に助けられます。上人は生誕したが母親は亡くなり、織田家に育てられ、織田家に恩義を感じていた。本能寺の変で信長討たれたことを聞きつけ信長とその一族、家臣の亡骸を運び出し阿弥陀寺で供養したと言われています。
もとは近江坂本にあったものを大宮今出川上ルに移築しました。清玉上人没後は秀吉によりこの寺町沿いに移転し、寺領も大幅に減らされる憂き目に会いました。
ちなみに、信長の法名を総見院と言いますが、これは秀吉が信長の菩提を弔うため創建した大徳寺・塔頭に名づけられましたが、阿弥陀寺は信長の法名を捴見院と書きます。信長亡き後、天下を取ろうとして織田家をないがしろにする秀吉と清玉上人の確執を表しているとか。
(2014年2月2日)
◆妙顕寺
・龍華飛翔の庭
日像の院号の龍華樹院から名づけられました。写真の門は勅使門です。皇室の方が来られないので使ったことがないそうです。
・光琳曲水の庭
尾形光琳の屏風絵をモチーフに作庭されたとか。立派な松です。
・宝物館
ここは写真撮影不可なので残念です。
尾形光琳筆 寿老松竹梅三幅対
日像筆・極細字法華経←肉眼では本当に読めません。
(2014年2月9日)
◆報恩寺
今年のNHK大河ドラマ・黒田官兵衛ゆかりの寺です。官兵衛の子・長政が宿泊中に持病の悪化で亡くなった寺として知られています。
後柏原天皇から下賜された、明の四明筆「鳴虎」掛け軸も有名で、これは見る人の角度によって、虎が長くなったり、短くなったりします。
ちょうどその墓陵前で交霊?されているようで、何か怪しい雰囲気でした。探訪していると、いろんな方や状況に遭遇します。一度、そのような特集を組んだらおもしろいかと思います。
(2014年2月9日)