番外編2/4(平泉2)
番外編1-1(平泉1)の続きです。
観自在王院跡に行きました。ここも草原と池だけなのでイメージがたよりです。以下、説明板の解説です。
堂内の四壁に京の都の霊地名所が描かれていた。霊地名所とは、八幡の御放生会・加茂の祭・鞍馬・醍醐の桜会・宇治の平等院・嵯峨・清水などの七か所の情景であった。京文化に憧憬した思慕の心をみることができます。
毛越寺に行きます。
ここも円仁が開基だそうです。しかも、中尊寺と同じ年(850)です・・・・・。どうもおかしいです。中尊寺と毛越寺は1キロしか離れていないのに、円仁がこんなに近くに寺院を創建するんでしょうか。気になったので、ネットで調べてみました。中尊寺は円仁創建をうらずけるような資料が出てこないそうです。奥州藤原氏が創建したというのが真実らしいとあります。
ここも、かなり手が入れられているそうで、特に、徳川時代には伊達家の所領で手厚い保護を受けています。そうでなければ残りません。
開山堂は円仁をお祀りする堂です。変わった造りのお堂です。コテージのようです。
池の遣水を再現し曲水の宴が催されています。平安時代には宮中の公式行事として催されていたようですが、毛越寺は昭和61年の欧州藤原三代の秀衡公八百年遠忌を記念して始められたそうです。京都では、城南宮、上賀茂神社が有名ですが、地方にもありますが、現代の宴は全て、昭和、平成に再現されたものです。
残念なことに、宴は一昨日だったそうです。平泉に行ってから気づきました。
毛越寺からバスに乗り達谷窟毘沙門堂に向かいました。縁起によると、悪路王・赤頭・高丸などの蝦夷がこの窟を城塞として悪事を働いていたので国府も手を焼き、坂上田村麻呂が征伐したというものです。この平安時代の田村麻呂の話は清水寺のアテルイ(=悪路王)・モレの蝦夷の石碑にある話とリンクしています。
山のふもとの登山口に源義経公妻子の墓があります。
(2014年5月27日)