京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

番外編3/4(盛岡市大慈寺地区)

平泉から盛岡市に移動しました。
実は盛岡市はどこを回ろうか迷いました。
京都検定伝統的建造物群保存地区というのを勉強しました。京都市内には嵯峨鳥居本祇園新橋産寧坂、上賀茂の四か所が指定されています。これは古い町並みを保存しようという制度で全国各地にあります。ネットで検索したら、盛岡市内には大慈寺地区が指定されていて古い街並みが保存されているとのことでそこに行ってみることにしました。
このあたりは南部藩おもかげの町と命名されていました。
 
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 盛岡八幡宮に行きました。源頼義安倍氏討伐を祈念して石清水八幡宮を勧請したことに始まります。南部氏が盛岡城を築城した時に鎮守社として再建されました。
 
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 境内に縁結びの神木 連理の賢木(れんりのさかき)があります。上賀茂神社 相生社もそうですが、樹木が途中で別れ夫婦和合の象徴と言われます。 
  
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 次ぎは大慈寺地区の中心である大慈寺です。
 ここは黄檗宗の寺院で原敬墓所として知られています。明治の初の平民宰相だそうで、ここが地元です。東京丸の内で暗殺され、郷里のこのお墓には本人と妻の淺が眠っています。ちなみに、淺は後妻だそうです。先の妻は金使いが荒く離縁されたとか。
平成の法名が刻まれていたので子孫がおられるようです。 
 
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 この大慈寺地区は地下水が豊富で酒蔵が点在しています。また、大慈清水なる共同炊事場があります。この地区の住民は清水の権利を買うと言われていました。 
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 そうしているうちに、なるほど景観地区らしい古民家が立ち並ぶ街道がありました。細重酒店を撮っていたら、見知らぬ方が声をかけてきました。
地元でボランティアのガイドをされているそうで,あまり時間がないですが、今から案内しましょうかということで、お言葉に甘えてお願いしました。
というわけで、細重酒店を見学させていただきました。  
 
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 ここは天保年間の創建だそうです。京都でもそうですが、たとえ江戸時代の創建といっても、手を入れられています。そうでないと木像建築が維持出来るわけはないです。奥の倉庫は本当に創建当時だそうですが。
お店の奥をに進むと、神棚がありました。この部屋は吹き抜けになっていて、神棚が天井近くにありました。この独特の造りは始めて見ました。
 
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 酒の量り売りをされてるそうです。徳利が並んでいました。
 
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 トタン屋根に付いているへらのようなものは、屋根に積もった雪が滑り落ちないように工夫されています。雪国ならではのものです。
 
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 古いポスターと絵葉書でしょうか、プレミアがついていそうなものが貼られています。マニア垂涎のものと思います。
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 下の鎌田薬局は昭和前期の町屋です。中は見学できません。洋風化されています。京都三条通り界隈にも似たような建物があります。
 
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 下の砂子沢家町屋も昭和初期の建物です。町屋らしいです。元は御茶屋だそうです。
 
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次は円光寺に案内いただきました。ここは元総理大臣米内光政の墓所で知られています。浄土宗寺院です。
先ほどの、原敬を始め、岩手県は首相を輩出する県のようです。 
 
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 次に、和菓子の松田屋を見学しました。明治期の創建です。舟ばし茶屋、からめ餅が名物だそうです。素朴な感じがしました。
 
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 ガイドはこれで終わりです。お家が近くなので、家でパンフなどいただきました。京都に帰ってから、お礼に一保堂のティーパックと松栄堂のお香のしおりをお送りしました。
このお話は後に、20140612の岩手日報に投稿されていて、その記事が送られてきました。この場を借りて御礼申し上げます。
 
一保堂
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(2014年5月28日)