京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

番外編1-4(石川県野々市市)

理由あって、岩手から石川県野々市市に移動しました。これも、一人旅の気楽さでしょうか。
金沢は京都と同じく第二次世界大戦の戦禍を免れた地域で、江戸時代以降の建物が多く、残っています。
野々市市金沢市の西隣で、鎌倉、室町時代には守護大名の富樫氏が治めていました。
 
◆ 布市神社
 加賀国守護大名、富樫家国が野々市に館を構えた際、敷地内に造営したとされる神社です。(市資料より)
歴史は複雑ですが八幡神社だそうです。
野々市という地名はもとは布(織物)の市場が立っていたことからきているそうです。
この日は、まだ5月とはいえ初夏の陽気で、暑いです。しばらく、ここで休憩していました。
 
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◆郷土資料館 
 もとは旧石川郡村井村の樋爪(ひのつめ)に安政年間(1850年頃)に建造したとされる農村の商家で、表構えは町家、間取りと構造は農家という複合建築物です。現在は、「旧魚住家住宅」として市指定文化財となり、今もそのたたずまいを残しています。
当時の人々の暮らしの様子を伝えるために、農具や民具を展示しています。 (市資料より)
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内壁が赤くなっています。趣味らしいですが、落ち着かないと思います。お金持ちの考えることはわかりません。
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この地は、もとは代々医家の稲坂家の土地でした。 
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 喜多記念館
郷土資料館の斜め向かいにあります。
 
 重要文化財、喜多家は加賀の典型的な町屋造りを今に伝えます。いつのころからか、囲炉裏ばたに描かれた灰型。北陸の風土に培われた文化と茶の心が静かにいきずいています。
喜多家はもとは高崎姓を名乗った越前武士で江戸中期以降に野々市で油屋を、その後造り酒屋となり、昭和46年まで営んでいました。通りに面した外観は、細い縦格子や二階の妻にみられる腕木に支えられた袖壁など、加賀の町屋の典型的なものであり建物自体も上質で、石川県に遺存する町屋の中では年代も古い貴重なものです。(市資料より)
 
ご主人に案内いただきました。少し前まで先代(主の親御様)が守られていたそうですが、亡くなられたとかです。ご主人も東京でお勤めされていたそうですが、すでにリタイアされ、実家(喜多記念館)に戻られているそうです。ご家族は東京に残られていて、単身赴任?だそうです。 
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イヴサンローランが訪れ、喜多家ののれんの波型のデザインが「ピカビアの女」のモデルが来ているワンピースのデザインに取り入れられたそうです。
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こんなところに、松尾大社の護符を見つけました。さすが、お酒の神様です。
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昔のトイレの便器ですが、かえって斬新です。京都の和風の居酒屋で見たことがあります。
 
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ランタンに蝉がとまっています。炊事場の土間の排水口に蟹がいました。
アールヌーボーみたいです。昔の人はおしゃれです。
 
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郷土資料館様、喜多記念館様ともども、ブログに載せるのを了承いただきありがとうございました。御礼申し上げます。
 
今回の旅はこれで終了です。地方の社寺、町屋を巡るとどこかで京都とつながっていることがわかりました。
まだまだ、現役ですので、長期で旅にでる機会はなくて、今回はいい経験になりました。時間が出来たらまた行きたいと思います。 
 
(2014年5月30日)