2014-12-27 島原角屋、輪違屋 日記 #歴史 京の夏の旅で島原の角屋に行きました。 島原はかつて京都の六花街の一つでしたが、今では廃れてしまい、廓はなく角屋と輪違屋のみになりました。 もとは二条柳町にあり、六条三筋町に移り、その後現在地へ移転しました。 廓とは遊郭、角屋は揚屋と言われる宴会場のお茶屋です。それに対して輪違屋は太夫や芸妓を抱える置屋です。 角屋は今でも営業されているそうで、会社関係の接待が多いそうです。 今の角屋は天明七年(1787)に増改築されたそうで、今回初めて見学しましたが、 思っていたよりきれいで、純和風ではありますが近代的な感じがしました。実際に営業されていることもあり、結構手が入っていると思いました。 一階表座敷は網代の間と言われ、初めて見ましたが天井に北山杉の皮を薄くはいだものを編んだものが貼られています。 角屋から一筋横にある揚屋の輪違屋にも行きました。二階に太夫が控えていた部屋がありますが撮影不可でした。 今、太夫は島原にしかいないそうです。4名だけとか。 そういえば今年の11月の京都新聞に新たに、葵太夫が誕生した記事が載っていました。嫁の知り合いのお姉さんの子供だそうです。山科区出身とか。 (2014年7月27日)