京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

勧修寺

紅葉の季節です。近くの勧修寺に行きました。
勧修寺と書いて「かじゅうじ」と読みます。
このあたりの地名も勧修寺です。この場合は「かんしゅうじ」と発音します。
地元のものは逆に「かじゅうじ」と言われると何のことかわかりません。
 
勧修寺は醍醐天皇が創建された門跡寺院です。
庭園の氷室の池は蓮の名所です。勧修寺型灯篭は水戸光圀より拝領されたと伝わります。灯篭は「ハイビャクシン」という銘木で覆われています。
この時期は紅葉の名所として多くの拝観者が訪れます。
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ハイビャクシン
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勧修寺型灯篭
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氷室池
蓮で有名ですが、時期的に厳しいです。
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勧修寺の成り立ちが以下のように勧修寺横の宮道神社の由緒碑に書かれています。
平安時代初期、宇治郡司宮道弥益は、醍醐天皇の生母藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが勧修寺であると伝わります。
後世、当神社は宮道弥益・烈子をはじめ、藤原高藤(胤子父)・定方(高藤男)・胤子(高藤女)等勧修寺ゆかりの人々を合祀、近辺にその遺跡もあり、醍醐天皇をめぐる人々の華やかな物語や、古代山科発展の歴史を今に伝える古社である。
高藤の後裔は、勧修寺流藤原氏として朝廷で活躍し、宮道家武家・寺家蜷川氏として繁栄しました。
 
 
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八幡宮は勧修寺の鎮守として創建されました。
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近くに藤原高藤、定方の墓があります。
定方の墓(下写真)は京阪バスのバス亭あたりの人家の敷地内にあります。
高藤の墓は定方の墓の場所から行くこと出来ますが、なにぶん人の敷地内ですし、番犬がいましたので断念しました。
余談ですが、遺跡が人の敷地内にあるというのが時々あり、その場合、遺跡の管理権は土地の持ち主にあるそうです。撤去されることもあります。こういうものは国や府が保護しないと駄目になります。
 
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(2014年11月16日)