サイドオマール
北白川の圓光寺に行きました。
本尊をお参りした時にふと左上の祭壇を見るとサイドオマールと書かれた位牌と遺影が目に映りました。
この人どういう人なんだろう、まだ若そうだしどうしてここに祀られているんだろうと思いました。
それから墓地に行くとオマールさんの墓があり、そこの説明板を読み納得しました。
終戦後、京都に移動したが終焉の地となり十八歳の生涯を閉じたとありました。
京都市内で第二次世界大戦の関連の遺物などで戦没者全体のものはありますが、特定の個人を対象にしたのものは初めて見ました。
それはおそらく京都が大戦の被害が少なかったからだと思います。
京都で先の大戦というと蛤御門の変に端を発したどんと焼けというのも納得します。
それはおそらく京都が大戦の被害が少なかったからだと思います。
京都で先の大戦というと蛤御門の変に端を発したどんと焼けというのも納得します。
(2016年1月10日)