京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

岩倉実相院門跡講演会

今、京都府京都文化博物館(京文博)では実相院の特別展を催していて、それに関連した講演会を聴講しました。
講演会は4回ありましたが中々時間が取れず4回目だけの聴講ですが興味深い内容でしたので書き込みします。講師は京都市歴史資料館の先生です。
今回の展示の目的は、先生が十年来実相院に通い、実相院が所有する古文書を読み込んだ成果を市民に還元することだそうです。
古文書には博物館で展示出来るものと出来ないものがあり、展示出来ないものとは低俗なものや凶悪事件について書かれたものだそうです。
講演会では表に出せない実相院の古文書を解説いただきました。

実相院は岩倉の前は京都御所西側・白峯神宮の北側にあったそうです。応仁の乱で焼け岩倉に移転しましたが、そこには所領の大雲寺があり寺院の一角を実相院の敷地にあてました。
実相院は公家や将軍家の子弟が入寺する門跡寺院なので檀家がないそうです。檀家がないということは収入源が少ないということなので何らかの錬金術が必要だったそうです。
精神を病む内親王が大雲寺の井戸水を飲むと病が治ったという言い伝えに因み、大雲寺は江戸時代には精神病治療のメッカだったそうです。
都名所図会の岩倉大雲寺には表立っては精神病治療とは書かれていないですが、絵をよく見るとこもりや(患者の宿泊所)や精神修養のため滝に打たれる人が描かれています。
精神病院というと今でも患者の理不尽な事件や事故の報道がありますが、江戸時代の大雲寺のことを書いた実相院の古文書にも同じようなことが書かれていて、そのようなものは展覧会には出せない内容です。
精神病治療はもちろん有料ですし、大雲寺の上にあったのが実相院ですので利権がからんでいました。要は収入源です。ただし、実相院は門跡寺院ですので直接治療はしていません。
大雲寺は昭和60年に火災で焼失し、その後再建されませんでした。跡地に精神病院が建っています。偶然とはいえ出来すぎです。

(2016年3月26日)