京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

快慶展

奈国博の快慶展に行ってきました。

慶派仏師は康慶から運慶・快慶と続きますが、運慶は康慶の実子で快慶は康慶の弟子でした。康慶は運慶に継がし、運慶は子の湛慶、康勝と続きますが、快慶はその中でも特別な存在だったようです。快慶には弟子の行快、長快、定慶がいました。
僧侶の序列で法橋(律師)、法眼、法印とありますが、仏師や絵師にも叙任されるようになり、快慶も最後は法眼となっています。
快慶は後白河院の追善供養に抜擢され、重源の南都焼き討ちにあった東大寺
再興でも活躍します。熱心な阿弥陀仏信者だったそうです。
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以下は展示会で見た快慶の京都にある作品です。
1.墨書、古文書などで快慶作が確かな作品
醍醐寺三宝院本尊 弥勒菩薩
 住持の勝賢の依頼で後白河院菩提を弔う。
③松尾寺(舞鶴) 阿弥陀如来
④金剛院(舞鶴) 深沙大将像、執金剛神像
 重源の指示で製作。金剛院は鳥羽上皇、美福門院により再興。舞鶴鳥羽上皇
 皇女の八条院の院宮分国があったことで目をかけられていたと推測されるとのこ 
 と。
遣迎院 (鷹峯) 阿弥陀如来
⑦正壽院(宇治田原) 不動明王 醍醐寺不動明王と似ている。

2.快慶作が明確になっていない作品(快慶もしくは快慶以外の慶派仏師の作品)
清水寺奥の院秘仏 千手観音像
 両手を頭上で合わせているいわゆる清水式千手観音ではなかったです。
⑩青蓮院 兜跋毘沙門天像 慈円の要請で東寺のものを写したと言われている。東 
 寺の毘沙門天と雰囲気は似ているが顔はまったく違っていました。
知恩寺 阿弥陀如来、善導大師 


2017年5月27日