祝園神社、湧出宮
大御堂観音寺から祝園神社に向かいました。
孝元天皇皇子の武埴安彦が朝廷に反逆し、この地で討伐され非業の死をとげました。その後鬼神になり人民を苦しめたことから春日社が勧請されたと言われています。祝園神社はいごもり祭りで有名ですが、それは武埴安彦の乱で亡くなった多くの人の霊が祟り、このあたりに悪疫が大流行して人々を苦しめため、村人達が忌みこもって悪疫退散の祈祷をしたことが起こりと伝わります。
涌出宮は祝園神社の木津川の対岸のJR奈良線棚倉駅前にあります。祭神は天乃夫岐売命(あめのふさめのみこと)で、天照大神の御魂と言われています。こちらも祝園神社と同じくいごもり祭りが行われます。伝説によると武埴安彦が斬首されたとき、首は川を超えて祝園まで飛び、胴体は棚倉に残ったと言われています。
(2018年6月9日)