松原通り
を繰り返す(輪廻)と言われています。
このあたりは魔界伝説が伝わっていて、怪異談など聞くと涼しくなるので夏に行くのがよろしいかと思います。
小野篁が冥土通いをしたという伝説があります。通った井戸も残っています。お盆の六道参りは有名で迎え鐘を突きます。
ちなみに送り鐘は寺町の矢田寺にあります。
このあたりは轆轤町と言いますが、江戸時代には髑髏町という町名でした。道端に人の死体がころがっていたことが由来ですが、ドクロではあまりに気の毒なのでロクロに変えられたそうです。
その六道絵は着色されたショッキングな絵柄です。美女の死体が放置され、黒色化しうじがわき、白骨化しやがて影も形もなくなる。あるいは人の死体が犬やカラスに喰われる。
これは想像で描いたのか、あるいは放置された死体を見て描いたのか。
京都の公家は日常生活で不浄なものを極端に忌み嫌ったそうです。その最たるものが邸宅内に死体が転がっていることだそうです。古文書に御所に人の腕が落ちていて加持祈祷で清めたということが載っていて、道端に転がっている人の死体(一部)を犬が運んできてもおかしくない。
道端に髑髏が転がっていたのは事実だろうということです。
六波羅蜜寺の向かい側に幽霊子育て飴で有名なみなとやがあります。
下に由来がありますが、幽霊になった母親が墓地にいる子どもために飴を買いに来るという伝説です。
麦芽糖の上品な味です。桂飴に似ています。
松原堺町通りに鉄輪(かなわ)の井戸が残っています。能演目「鉄輪」は史実に基づいたものなのでしょうか、自分を捨てて後妻をめとった妻が貴舩神社で丑の刻参りをして夫を苦しめます。安倍晴明に占ってもらい妻を調伏するというものです。妻の女性が鉄輪の井戸のあたりで息絶えたということです。
井戸は路地の奥の突き当たりにあります。井戸の横は民家の玄関ですが
こんなところに住むのもおつなものだと思います。
烏丸松原のあたりに俊成社の祠があります。
俊成とは和歌宗家の藤原俊成ですが、邸宅がこのあたりにあったそうです。
とはいえ千年前の平安時代末期~鎌倉時代のことなので、幾度の焼亡がありました。もともと三神は新玉津神社の敷地内にありましたが、今は衣通郎姫(玉津嶋)のみ祀られています。他の二神(住吉神、人丸神)は正親町天皇により住吉神社(摂社人丸社)として堀川通りの方に再建されています。和歌の聖地でしょうか。
(2015年7月19日)