京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

源氏物語ゆかり1

昨年の5人会で、会のメンバーで観光ガイドされているMさんに内野の、源氏物語ゆかりの場所を一部案内いただいたことから、自分で巡ってみようと思います。

今回は御所東、寺町通沿いのゆかりの場所を行きました。

1) 廬山寺

紫式部邸宅跡と伝わります。ここで源氏物語を執筆されたとか。

もともと、廬山寺は良源が船岡山に開いた与願金剛院が始まり、この地には天正年間に移ってきたと言われています。移転先がたまたま紫式部の邸宅跡だったということになります。

 

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2) 梨木神社

三条実美、実万父子の邸宅跡です。父子が神社の祭神です。

平安京東京極大路(寺町通)沿いに流れていた京極川の二条以北を中川(中河)といい、光源氏の恋人・花散里の邸宅(姉の麗景殿女御と同居)は中川にあったとあることから、このあたりと推定されています。

「帚木」では、光源氏が方違えのため紀伊守邸に泊まった時に空蝉に出会ったのも中川でした。当時は梨木神社は無かったので判明しないですが、式部はこのあたりを想定していたと言えます。


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3) 法成寺(北東院)跡

説明板は鴨沂高校のグラウンドの端にあります。

光源氏のモデルと言われている藤原道長(966-1028)の邸宅跡です。光源氏と同じく栄華を極めた道長ですが、晩年はこの地で過ごし、ここで往生したと言われています。

ただし、光源氏は桐壺帝の子で臣籍降下して源氏姓になったので、道長とは出自が違います。光源氏が亡くなる雲隠れの巻が発刊された時は道長は存命で、そもそも道長より紫式部(970(or 978)-1019)のほうが早くに亡くなっています。

あくまでもフィクションなので、モデルとはいえ人物が特定されないような配慮はしていると思います。


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                                 2022何5月7日