正面町
今回は豊国神社から正面町を探訪します。
俗に、「琴棋書画」と言われように、書はお公家さんのたしなみの一つでした。おおよそ天皇は書の名人です。
書をたしなんでいる方には垂涎の的ですが、思ったよりも入場者は少ないようです。
私は書はわかりませんが、超一流のものは気品や趣があり、見ておいて損はないと思います。
俗に、「国家安康君臣豊楽」は豊臣が栄え、「家康」の家と康を分断したといちゃもんをつけたと言われていますが、豊臣家と徳川家がともに栄えるようにという考えから、豊臣、家康の字をわざと使ったというのが定説です。
豊国神社から正面通りを西進し、賀茂川にかかる正面橋を渡ります。
渡ったところに任天堂の旧社屋があります。レトロでおしゃれな建物です。
さらに西に行きます。ところで、正面町通りは秀吉が豊国神社の敷地に有った東山大仏から西本願寺に至る通りとして整備されました。その後、正面町通りを分断するように、家康が教如に東本願寺の寺領を与え、さらに家光が宣如に東本願寺の東にに渉成園が与えられました。
作庭は石川丈山が協力しました。庭園は嵯峨天皇皇子源融が奥州の塩釜の風景を模したと伝わる河原院跡と伝わります。実際は河原院は五条河原町あたりにあったと言われているので渉成園とは少し離れています。本当のところは誰もわかりません。
庭園から外を見るとビルが見えます。都会の中にありながら喧騒を離れ、オアシスのようです。いいところです。