京滋探訪

2013年にブログを開設しました。京都の各地に行って見聞きしたものや感じたことを書いています。

陽明文庫「御堂関白記」

 陽明文庫は五摂家筆頭の近衛家に伝わる史料集で、近衛家の当主で内閣総理大臣だった近衛文麿が宇多野の地に資料館を設立しました。その陽明文庫の中で国宝・御堂関白記が2013年にユネスコの記憶世界遺産に登録されたことを記念して講演会がありました。以下概要です。
 
御堂関白記藤原道長が記した日記ですが、それが子孫の近衛家に千年以上にわた って代々受け継がれてきた。
・日記としてはもっと古いものがあるがそれは写本が伝わっているのみ。
・日記は先に暦が付けられていて、一年を二巻に分けている。上巻は1~6月、下巻は 7~12月。
藤原道長の生存期間は966年~1028年で、日記は998年~1020年の期間(期間 中ずっと書いていたわけではない)に書かれていて、もともと36巻あったがそのうち2 2巻は早くに失う。
・その中で現存しているのは七年分であり、また一年分そろっているものがない。
・なぜ、失った巻があったのか。五摂家に分かれたのが要因と考えられる。日記は摂政 関白の三種の神器でもあったので、近衛家から他の摂関家(鷹司、九条、一条、三条 各家)へ移った可能性がある。
・同じ半年分でも長さが違う巻がある。本来、自分のために書いたもので、人に見せるも のではないので、道長没後は早く処分するようにとの但し書きがあった。素直に信じた 公卿は破却したと考えられる。そのような訳で14巻しか残っていない。
応仁の乱の時、近衛家は日記を岩倉実相院に一時避難させていた。後世に残す強い 意識を感じる。
・記憶遺産登録申請にあたり、外人はどうしてこれが道長自筆と言えるのかという質問。 具注歴(暦を付けた日記を書く空白部)には道長自身しか知り得ないことが書かれてい るため、自筆と断言して間違いない。
 
ちなみに、御堂関白記をはじめ、陽明文庫の国宝、重文の史料は京都府京都文化博物館の企画展で時々展示されていますが地味な史料なのであまり見学者もいません。